夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

片山廣子と芥川龍之介と夏の蚊について。

夏も終盤の感じである。体感ではそれほど暑い日が続かなかった、と思っていたが、どちらかというとはじめに暑く、後半で雨が多い、という感じだろうか。

私は汗かきのせいなのか、蚊によく「噛まれる」。普通は刺される、か喰われる?という言い方を使うと思うのだが、私の地元、あるいは我が家、あるいは母親?はそう言っていたので私もそう言っている。

まあ、噛むというと顎がある感じだが、蚊は突き刺す系なのでおかしいといえばおかしい。ただ「吸血」という行為はいわゆる吸血鬼は首筋に噛みつくわけで、そういう連想はある。

で、昨日の新聞で、温度があまり高いと蚊が羽ばたけず叢で休む、という記事を読んだ。血液型信者(よく血液型は迷信だという意見を耳にしますが、実感では特にこの日本では血液型による性格傾向はあるような気がしています。血液より激しい違いがある人種が入り乱れる海外ではたしかに血液型では判断が難しいでしょうが)である私は、AB型なのでより「噛まれる」と思っているが、これは「血液ドリンク」を飲む蚊さんたちが、血の味を選別しているイメージだ。この味は美味だな、という微細な違い(笑)。

まあ、熱すぎて蚊が少ないというのは個人的にはありがたい。とにかく隙あらば噛まれているので。

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引き続き片山廣子の評伝などを読んでいる。芥川龍之介自死する1か月前に堀辰雄と共に片山宅を訪ねているという。その時廣子は芥川の態度の鋭さを感じたというが、芥川自身は今生の別れの決意を密かに秘めて廣子に会ったのであろう。

三島由紀夫もしかり、自ら秘めた自死の決意がある人は、今この出会いが今生(この今生という言い方は考えてみれば輪廻思想から来てますね)の別れであると自身の中では思い感じている。だがそのことを口にしない限り、ひそかな別れを受けた人はその会合で当然ながら相手の気持ちはわからない。

わからないが、多分「なにかを感じる」あるいは「感じていた気がする、後になって」。

そうかあの時あの人は密かに別れを告げていたのか。

 

廣子は芥川の自死を知り、彼の厳しく激しい瞬間と自身の穏やかで平凡な日常の瞬間との落差を感じ大きな衝撃を受ける。

おいて行かれた、あるいは伝えてくれれば、という感じか。

勿論片山と芥川は互いに惹かれていようが、一緒に死のう、という感じの関係ではなかったであろう。ただ、芥川から廣子への手紙は後に廣子の娘が処分しているので、それは文学的邂逅資料だ、と野次馬的に思うより、後世の両者への評価を斟酌しての、自身も著作を行っていた廣子の娘の苦しい、だが確信を持った行為であったのだろう、と思っている。

つまりは、やはり大変お互いに惹かれていたのだろう。だが「芥川の最後の恋人」という表現にはすこし違和感を感じる。綺麗すぎるかもしれないが、「芥川最後の想い人」とでもいおうか。

芥川が軽井沢で廣子と会ったとき、2年前に夫を病気で亡くしてはいるものの、長男と長女を伴っての滞在であった。長男の達吉も、芥川全集の会報に芥川との初めての出会いの思いでを書いている。

想像するしかないが、夫を亡くした母、それより10歳以上歳の若い天才的小説家。彼らがどうしようもなく惹かれあっていることを、子供である彼、彼女らはどのように感じたのであろうか。

複雑であろう。だが、やめてくれ、とも言いにくい。母の思いを大切にせねば、という義務感。なくなった父の子でもある「われわれ」から半分離れてしまう、というような理不尽な気もする喪失感。

そいうものがあったのだろうとも思う。

 

廣子の死後、娘の聡子が廣子の遺品である芥川からの手紙を焼いたのも、そういういう複雑な思いがあったのであろうと思う。

というか、それが実はすべて、なのかもしれない。

(母の廣子もそれを感じていたのでしょうね。。)