夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

思えば遠くに来た、のか?(笑)

今朝は体重64KG,体脂肪11.4%。本当は体脂肪ジャスト10%を目指したいところだ。だが盆休み明け久しぶりにトレーニングを行ったので、気分がいい。あまり長時間無呼吸トレーニングをやるとよくないということなので、余りだらだらとはせず、早めに追い込むようにしている。

私事ながら近々仕事が変わる予定である。住む場所も変わる予定だ。何度か勤務地を変えてきたが、6回目の転勤となる。

生れは神戸であるが、神戸でも生まれた場所(記憶はない)は明石の天文科学館そばであったらしいが、その後2回転居した。実家は私が出てからも1度転居して今は須磨にいる。夏休み前に実家で母親と話していると、「わたしは引っ越しがすきやから」、と言っていた。私個人はどちらかというと引っ越しは面倒(とにかく本が多すぎる)なのだが、まあ出稼ぎと思えば仕方がない。

仕事とと人生、というのは大きなテーマである。自分で将来に向けて安心して働けるのがベストである。最近この項でもよく取り上げる勝間和代さん、性格は全然違うのだが、私の調整者、外交官的性格と勝間さんの性格は違いすぎて合うという。勝間さんのおっしゃるいろいろなアイデアは、大変参考になるし、本音の意見は結構似ているので、そういう面では勿論直接お会いしたことはないが、よき先達として尊敬している。

まあ、私はこれまでずっとサラリーマンである。サラリーマンしかない、ということで選んだ。文系であるので、本当は自分で何かを創りたい、という感覚があったのだが、広告代理店は2つ落ちて、メーカーに広報志望で入った。

志望は広報であったが、営業に配属だ。とにかく算数が苦手なので、配属は経理だけはやめてくださいと頼んだ。総務がいいなあ、と思っていたが、営業になった。

私はいわゆる運動神経ゼロタイプだ。算数とボール競技が2大ダメ科目だ。どちらも取り組めといわれると恐怖を感じる。一方で国語は大好きだ。これは多分幼少時、外に行くとわけのわからない幼児にいじめられるので、部屋に閉じこもって本ばかりを、そしてそれほど潤沢には本がなかったので、持っている本を何度も何度も読んだ結果だと思っている。

これが外を走り回っていた人は違うのだろう。草野球にゴルフ。集団競技に馴染んで、いろいろと成人後もうまくやっている感がありうらやましかった。

だが、それは無理である。算数は会社に入ってからはそれほど接する機会ないし、ボール競技もゴルフを必死でさければそれほどはない。

自分の内向的で一人になりたがる性格では、いわゆるサラリーマンには向いているわけがない、というのが高校時代の自己評価であった。大学に入って出版社に入るのが高校時代の目標であったが(早川書房が第一目標(笑))、地方大学に行ってしまうとその夢も勿論かなわなかった。

大学ではマンガを描いた。だがそれでは会社に入ったらまたきつくなる、という推測から、運動部にも入った。フェンシング部である。私は格闘技好きで、鍛えることは大好物であったので(=一人でできるから)、少しだけ格闘(決闘)要素があるフェンシングに好感を持っていた。手塚治虫リボンの騎士がメチャクチャ好きであったので、それが実は影響しているのは、ここで今初めて書いている(少女趣味といわれるのが恐ろしかった)。

運動部はいわゆる同好会ではない、体育会(学友会といったが)であったので、先輩後輩、コンパ等で鍛えて頂いたことは本当にありがたかった。飲み会での数々の修羅場は、後の営業経験で自身の勝手な引き出しとして、本当に役にたった。

外国人との営業では特に役に立った。とにかく向こうも日本人はわけがわからない、という感じであるので、とにかく酒で腹をわった感じを持つ。本当に割れているかはともかく、酒を飲むのは仕事の一環であった。

なんとなく、新たな仕事に変わる前ということで、来し方を振返っている。「思えば遠くにきたものだ」とすこし感じるのは、27歳と28歳で刑死と結核に斃れた吉田松陰高杉晋作の生涯に触れたからかもしれない。

(まだまだ遠くに行くつもりですが(笑))