夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

歩く時の距離感は道の込み具合や信号の有無で全然違う。

今日の体重は64.2kg、体脂肪12.2%。4日間家にいて、結構気にせずどんどん食べていたので、体重と体脂肪はこんな感じかなと思っている。やはり食べると下っ腹に脂肪が付く感じだ。普段はグルテンフリー&添加物できるだけ摂らない」を目標にしているのだが、人と過ごす日や休日はチート・デイとしている。これが続くと体にくる。

結構頑張って歩いていたつもりだが、やはり食べは覿面ですね。。

私は腹がぶよぶよするのがとにかく嫌いで、こどものときに「おじいちゃん」が腹ぶよぶよで、「これなに?」と聞くと「ビール腹や。」と答えたことを今でもよく思いだす。

私はバランスとしては、ハチが一番スマートでかっこいい、と感じてしまう。勿論人に強制する気はまったくない。自身の体についてだ。

あの時「おじいちゃん」は何歳位であったろうか。多分60歳を超えていたように思う。モダンな人デフランスに留学してフランス語を教えていたと聞くが、家では「ビール腹」である。だが外国が好きで、旅先から絵葉書をよくくれた。やさしい、ひとであった。

幼児もいわゆる「美醜」を判断するとか、しないとかの議論がある。勿論文化的刷り込みの要素は知らず初期からあるだろう。まったくない段階での「美醜判断」は果たしてあるのだろうか。

美醜の区別は、今だと「差別」に繋がる要素が多く、個人が心に秘めるべきことがらとなってきている、と感じている。

さて、今日勝間和代さんのメールを読んでいて、富山まで5-600キロをリッターバイクで行かれた話を読んだ。

そこで勝間さんは、「道が混んでいると疲れることに気づいた」ということをおっしゃっており、これはいわゆる歩きでも同じだな、と思ったのだ。

私は目標1日1万歩である。最近は少し達成が厳しくなっているが、可能な日はできるだけ歩くようにしている。

名古屋に住んでいるので、名古屋駅から栄という地区まで歩くことがあるのだが、少し坂になっていることはあるのだが、とにかく感覚的な距離感と実際の距離の乖離がある。

つまり「たくさん歩いた気がするのに、実際の歩数はいまいち」ということである。

現在改修中で行っていないが、前によく言っていた市営のスポーツセンターから名古屋駅まで歩いた場合と、名古屋駅から栄に歩いた場合、体感では前者より後者が遠いと思っていた。

だがそうではないのだ。後者の方が、距離が短い。

これはぼんやりと理由を感じていたのだが、今朝の勝間さんのメールではっきりしたように思う。

つまり、名古屋ー栄間は、人が多く歩いており、信号も多く、気を遣う。なので疲れるのだ。スポーツセンターから名古屋駅の場合は、住宅街の隘路を抜けてゆくので、基本人や車はほとんどない。信号も限定的だ。

これの差が、出ているのだ。

首都圏をリッターバイクで移動されるときの疲れと、道路が空いているときの疲れが距離感とは全く比例しない。これは歩きでも同じことだ。

 

名古屋ー栄をあるいていると、車が全くこないので、信号に関係なく渡っていると、警官がいてごちゃごちゃいうことが2回ほどあった。いや、車けーへんやろ、とむちゃくちゃむかついて、もうすこしで警官に毒付きそうになったのだが、ぎりぎりで我慢して、むちゃくちゃ怒った顔で「すいませんねえ」というにとどめた。

あとで見てみると、法律上は勝ち目がなさそうなので、仕方なく今は信号を(赤で)渡るときは前後左右、向こう岸の信号含め警官の有無を確認してから渡っている。

これだけでもストレスアップしている。

まあ、全く車が来ないのに待っているのは間抜けだ、と思うのは同じだが、いまはポケモン整理などをして待つことも増えてきた。

(車の全くこない赤信号はいまでも絶対渡るべきと思っています。あ、教育上子供が待っていたら渡りませんが。。)