昨日は森博嗣さんの「道なき未知」について書いたのだが、国立大(たぶん名古屋大学)の助教授であった森さんが、国立大は残業代が出なくて、庭園鉄道を作る夢の為、あくまでバイトで、売れそうな(別に趣味ではない)小説を書いてみたら小説家になっていた、ということをおっしゃっている。
ここがまずすごい。文系脳であれば、ここまでクリアカットに”バイト”と言い切れないであろう。まがりなりにも自負のあるわが”文系魂”をぶつけて、”よい小説を書こう”などと雑念一杯に思うことだろう。売るためのバイト、と100%振り切ることはできないはずだ。
趣味と実益を兼ねることが難しい、ということがわかるところだ。小説好きが小説を書くのであれば、ここで振り切れないに違いない。
森さんは1時間に6000字書ける(キーボードで)。10分ずつ5-6回に分けてかく。そのほかの時間は遊んでいる。小説のことは、考えない。
盆も正月もなく、毎日書く。1日1時間は短いかもしれないが、それを淡々と続けることがすごい。いつ完成するかがわかる。長編で2週間という(84000字相当か)。それのゲラチェック。発売するまでのSTEPを淡々とスケジュールに入れる。天変地異の為にも2週間ほど余裕を見る。
責任を持つ、とはこういうことだろう。約束したことはどうあっても当たり前に守る。根性ではない、淡々とした日々の作業で。
凄みを感じる。だが、
こういうことは当たり前で、”凄みを感じる”などというのは、自分ができないことを甘えて表現しているだけであろう、と森さんならおっしゃるだろうか。
さて、一昨日位から歩き方を変えてみたら、上を向いて自然に歩けるようになった。
いままでは地面や通り過ぎる人の顔を、見すぎていたなあ、と思った。
手の振り、角度、胸を手の振りにより自然に張るような歩きにすると、いちいち対抗者を気にせずとも、空を見て気持ち良く歩けることに気づいた。
ことさら相手にぶつかる気はないが、道の真ん中を普通に進んでいる。人の顔や国籍や美醜やらをいちいち見て判断していることが、いかにしんどかったかを感じた。
空を見ていれば、そんなことは関係がない。
新緑の樹々の美しさにも気づいた。
そして2本線の上を歩いているという意識をもつようにした。
いままではまっすぐ歩こうと思うあまり、1本線であるいていたが。
結構足をぐねって来た。(足首がグキッとなるという意味です)。
まあ、2本線でも今朝ぐねったが、それでもぐねることが減るのではないだろうか、と思っている。
(樹々を見ることができて、気分が良くなったことはおおきいですね)