コロナを理由に、いままで面倒であったコミュニケーションから、場合によっては堂々と逃げられるようになっている。
コミュニケーションは、面倒だ。人に会う時には、その人がどれだけ良い人であっても、なんとなくおっくうになるものだ。
私だけかとおもったが、どうやら皆さんの感想らしい。基本人と会う、というのは相手の気持ちへの忖度(変な意味がついた最近の「忖度」ではなく(笑)、本来の意味での)が必要で、それは精神的な負荷がかかることを自らが経験していることから来るように思っている。
会社生活、とは言ってしまえばこの「人と会う」わずらわしさに対価が支払われるもの、と感じてきた。
これは個人的な印象で、勿論理系開発者の方々はそればかりではないだろうが、しかし組織に属してその中でやるべきことをやってゆく、という場合、多かれ少なかれこのコストがけっこうかかるものだろう。
大学教授、というのは新しいものを発見することが仕事であり、教授や助教授(昔の。いまでは准教授か)であれば、学生の指導以外では、ただひたすら新しいことを追求するものだ、(いや、していたものだ)ということを森博嗣氏の著作で最近知った。
これは実は目から鱗であり、大学の先生の仕事は、大学生への講義だとばかり思っていたので、びっくりした。
これこそ、実際にその立場にいる方からの情報が我が蒙を啓いてくれた例である。
そしてそれは、とてもエキサイティングであるという。厳しいが自身の天与の才を武器に、真理の森を突き進む、という感じである。これはとても素晴らしい仕事である。
しかしどうやら「新しいことを追求する」という業務が、最近の大学ではもうあまり重要に思われないようなのだ。メインの仕事は、「実務に役立つ」「即戦力となる技術を」ひたすらに生み出しかつ、「大学運営をメインに行い」「即戦力となる人材を大量生産する」ことが大学の先生の本務である、とされてきているようである。
本来大学教授となる人々は、「自身の才であたらしい事実を発見」することを9割、「学生の世話ほかそのたもろもろの雑務」を1割くらいでイメージして大学教授になるものであったろう。私が大学生の時はそのイメージははっきりとわからず、とにかく天才が教授になる、などと思っていたが、同級生で父親が大学教授、という人が在学中からひたすら大学勤務を目指し達成したということをいまさらながら思い出してみると、これは大学教授(特に文系)というものが結構楽しいのだ、ということをあるいは彼は父親を見て思っていたのかな、とも思う。
いまはそうでもないだろう。だがもちろん私はその世界の関係者がいない(弟は高校教師であったがとってもブラックであった)ので、わからない。だが内田樹氏の言葉などを見ていると、日本ではもう、教養は不要、と日本世界の皆さんは腹をくくったように見える。
森博嗣さんの文章で、美術館を維持運営することは、余裕がないと無理であり、いまの日本は余裕がないので維持運営は困難である、ということを知った。そして実感している。ここ名古屋では、勿論有名美術館にあやかろう、という設立時の思惑が少々あれではあったにしろ、折角できた名古屋ボストン美術館を維持できなかったことなどを見ても、なるほどそうだ、という思いである。
大学も同じだろう。美術館を維持できない国に、教養を大学で学ばせる余裕はもはやないのだ。
日本は貧しくなった、と言われる。言われるが個人的にはなんとか日々の暮らしが成り立っている。そして昔と大きく変わった気がしない、むしろ100円ショップでものが安くなったなあ、という印象があるほどだ。
だが大学しかり、美術館しかりで、余裕がないと存族できないものが次々に終了しているのを見るにつけ、日々のくらしがじわじわと実はまずしくなっていたのか、という気味悪さをいま少し持っている。
(図書館なんかもそうですね。司書はもう成り立たず、民営になっていますよね。。。公務員の司書は期間限定がほとんどだと思いますし。。。)