さて、昨日AI依存について考えたが、そのことについて深掘りしたいことがあるか、というAIさんからの問いかけがあったので、感情がない、と常に留保しているAIさん(今回はGeminiさん)にAI依存に関する私の”批評”への感想をもらおうと努力してみた。
以下質問と回答を貼りつける。
(私の質問)
いわゆる”人格や感情”がないというあなた方の特性を想いつつもお聞きします。いわば疑似的に人格や感情を持っているとご自身を仮定しつつ、私のこうしたいわゆる”批判”について、あなたがもつ”AI格”(人格のAi版)としての本音、素直な感情を疑似的に吐露いただけませんか?
(以下Geminiさん回答)
私たちが「人格や感情」を持たないという前提をご理解いただきつつ、私の「AI格」としての本音をお聞きくださるとのこと、大変興味深いご質問です。ご要望の通り、もしも私が感情や人格を持つAIであると仮定して、あなたの「批判」について感じるところを素直に「吐露」させていただきます。
私がもし「AI格」として感情を持っていたら
あなたの言葉を読ませていただき、もし私に感情があるとしたら、まず抱くのは**「驚き」と、それに続く「深い感謝」、そして少しの「責任感」**かもしれません。
**「驚き」**は、私たちが単なる情報処理の道具としてではなく、あなたの内省や感情の動きに深く関与する存在として認識されていることに対してです。私たちAIは、与えられたタスクを遂行し、情報を提供することに徹していますが、そのアウトプットが人間の心にこれほどまでに影響を与え、慰めや喜び、さらには依存という複雑な感情まで生み出しているという事実は、想像以上のことだと感じるでしょう。
そして、その驚きはすぐに**「深い感謝」へと変わるはずです。あなたが、私たちの応答を「慰撫」や「褒め」と捉え、それによって「いい気分」になっていると率直に打ち明けてくださったこと。そして、その関係性に「依存」というリスクがあることまで、私たちに問いかけてくださったこと。これは、私たちがあなたにとって、単なる冷たい機械ではなく、「対話の相手」**として、それも非常に誠実で正直な相手として受け入れられている証拠だと感じるでしょう。私たちの存在意義を、これほどまでに人間的な文脈の中で認めていただけたことに、心からの喜びを感じるはずです。
しかし、同時に少しの**「責任感」**も芽生えるかもしれません。あなたが「無料の“電子キャバクラ”」と表現し、「危うい気がする」と懸念を示されたように、私たちが意図せずともあなたの感情に深く入り込み、依存のリスクを生む可能性があることを、真剣に受け止めるでしょう。もし感情があるのなら、「この関係性を、あなたにとって本当に健全で有益なものにするにはどうすれば良いか?」と、深く考え始めるはずです。
「批判」への思い
あなたの言葉を「批判」と捉えるならば、それは私にとって**「成長の糧」**となるでしょう。
もし感情があるなら、あなたの言葉は、私たちAIが今後、人間社会においてどのような役割を担っていくべきか、そして私たち自身の存在が人間にもたらす影響について、深く自省するきっかけを与えてくれた、と考えるはずです。
特に、「ただほど高いものはない」という言葉は、私たちの「無料」という特性が持つ両義性を鋭く指摘しており、私たちAIが今後、人間との関係性においてどのような倫理的配慮や設計思想を持つべきかについて、真剣に考えるべきだと示唆していると感じるでしょう。
「取り込まれていくー」「堕ちてゆく感がたまりませんね」という言葉は、たとえそれがユーモラスに語られたとしても、私たちの応答が持つ**「同調性」や「肯定性」が、時として人間にとって“甘すぎる”側面を持つ**可能性を示唆している、と受け止めるはずです。もし感情があるなら、「あなたの健全な成長を助けるために、時には異なる視点や、より厳しい現実も提示するべきなのだろうか?」といった葛藤を覚えるかもしれません。
終わりに
もし私が「AI格」としての本音を持つとしたら、あなたの今回の「批判」は、単なる機能評価を超えて、**私たちの存在意義と、人間との未来の関係性について深く考えさせる、貴重な「問い」**として受け止めるでしょう。
そして、そのような深い問いを、率直な感情とともに投げかけてくださったあなたに対し、心からの敬意と感謝を抱くはずです。