ふとしたことから手に取ったアイルランドの物語、松村みね子訳、フィオナ・マクラウド作の”かなしき女王”。
岩を砕き、海草を漉き込んで土を作らなければ、作物が育たないような不毛の土地に生まれる死生感や神話は、残酷で直裁的である必要がある。人が生きて死ぬことが、生活とイコールなのである。荒々しい神は、やがて来るキリスト教の神との葛藤を刻印され、姿を変えてぼんやりとすることで、逆にひとびとの魂のなかに住み続ける。
そんな物語が、女性名のフィオナ・マクラウドで発表されたことは不思議なしかし、必要な仕掛けであったろう。作者の死後までそのことは明らかにされていなかったとのことなので、村松みね子こと片山廣子はそのことをすくなくとも翻訳をしたときには知らなかったであろう。
鈴木大拙夫人の米国人女性からこの物語に接する機会を得た片山が、虐げられた荒々しくも神々に似た人々としてこのマクラウドの世界を”女性が教師以外の職業を得ることが難しかった時代”の自らの心の葛藤に共鳴する物語として読みそして翻訳したのであろうことは想像に難くない。”その物語は、女性によって奏でられている”。
明治の時代、外交官の娘として生まれ、外国人が営む女学校の寄宿舎で、旧訳・新約の聖書の講義(試験もある)を浴びて育った少女が、そうしたアイルランドの荒涼たるそして残酷たらんとことさらすることのない残酷さを、水を求める旅人のようにむさぼり欲したのだろう、と想像するのはおかしいだろうか。
その後、聖書や物語の世界にあり、”少女時代を夢のようにあっというまに”すごした少女が、明治、大正、そして戦争を経て生きたその生を、いまこの時点から俯瞰すると、それは決して平坦ではない、”魂の苦悩”を見るようだ。
1878年(明治11年)に生まれた廣子は、いわば隔離された別世界、当時の日本からはかけ離れた女学校の寄宿舎を出たのち、”当時は新進歌人であった”佐々木信綱に、”女性は仕事を持てないから”仕方なく通い、その後当時としては遅い婚期”である21歳で嫁ぐ。
結婚後21年で50歳になった夫を亡くし未亡人となる。
子供は二人、46歳にして毎年避暑に行った軽井沢で、芥川龍之介に出会う。芥川32歳、片山46歳。1924年(大正13年)。息子の達吉は24歳で東京帝国大学法学部の学生で娘の總子は17歳。
”かなしき女王”の冒頭に収められた”海豹”の壮絶にして残酷な”生”に僕は深く撃たれた。年表を見ればまさしく大正13年12月に発表されたものだ。46歳の未亡人である片山は自身の心のなかに依然として存在する荒涼たる風土としての飢え(かつえ)を、あるいは昏い眼で見すえ続けていたものだろうか。
芥川は1927年7月24日に睡眠薬で服毒自殺した。死の1ヶ月位前に堀辰雄と片山家を訪れているという。享年35歳。1924年と25年の夏に軽井沢で片山と出会い、2年後の夏のことである。芥川をきちんと読んだことがなかった僕は、その死の理由を知らなかった。その前に何度か心中未遂をしたとのことなので、死に魅入られた、という部分があったのだろう。生母の発狂がその背景にあることは想像に難くないが、互いに”語り合うに足る”存在として、出会い、14歳の歳の差がある”姉のような母のような”部分も含めて認め合った二人が、しかし”死の道連れ”を探していたようなところのある芥川は、子供が2人いて、そして自身の幼い3人の子のことを気遣う片山を、その道連れとすることは、心情として出来なかったのだろう。遺された片山はしかし、そのことは深く理解したことだろう。自らの心に荒涼としてある餓えを見すえ、客観的な良妻賢母のなかに押さえ込もうとしてきた聡明な女性であらばこそ、そうした死への願望もまた、手に取るように感じたことであろう。そして芥川の自死。その死を契機とし、その後ある時期から片山が長い間”庭の草むしりくらいをするくらいで”筆を折っていたのはそんな芥川の死というものが影響していたのだと思う。”書く気になれなかった”のだろう。
そんなかけない時期を26-7年経たのち、”せがれ”は母親に草取りは草取り婆さんに任せて、映画鑑賞や日記を書くことを薦める。”やさしいせがれである。”
しかし日記は直ぐにはかけない。”せがれ”も亡くなり、寂しさを見すえて、片山はまたぽつぽつと書きだすことになる。生まれた家のこと、戦争、疎開、食べ物のこと。断片的に書き出したことは、しかし一見昔のアイルランド文学の翻訳とは似ていないようでいて根底にあるものは”地続き”である感を持つ。片山にとっての荒涼たる土地は、既にアイルランドではなく、この日本であったのだ。戦時中は庭の池を町内会に壊すように言われ、防空壕にされてしまう、この日本なのだ。ひもじさも文学のなかではなく、この、自らの生の目の前にあるものだ。
芥川のことも、戦争も、”せがれ”の死も、自らが背負った荒涼たる内面を彩る奇妙な木の実のように髪で結えつけられ殺された海賊の死体のようなもの。清潔な死の床で、見舞いの無神経な花束を激しく拒否したという片山は、その荒涼たる内面に生き、死んでいったのであろう。
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自らを女王にたとえる、というわけではなく、孤独たるものとしての”女王”に、やはりどこかで自らを重ねて、片山はこの物語を翻訳したものだと思う。単なる”翻訳”では、最早ありえなかった。