夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2019-01-01から1年間の記事一覧

肉体は、乗り物。

肉体が、乗り物である、という言い方がある。 用語は別にして、ウィルバーのいう”目撃者”(全から分離した全の一部で死すときに全に還るもの)が、意識や(か)魂や(か)、あるいはエゴかを通してこの肉体を動かしている、とするのなら、 全てに偏在する全…

おおいなる Let it be.

閑さや 岩に染み入る 蝉の声 芭蕉が立石寺で詠んだ句である。 閑さを、”しずかさ”と読むか、”しずけさ”と読むかということがあるようだが ここは私の趣味で”しずけさ”とする。まあ、しずかさと読んでもいいだろう。 我が家の前は神社である。中古住宅を10年…

魂、とはなにか。

魂。 英語ではSOULとなるのか。 池田晶子さんの没後纏められたアンソロジーが3冊、 タイトルはそれぞれ、 私とはなにか、魂とはなにか、死とはなにか、である(順不同)。 池田さんが大文字で考えられてきた事項であろう。 ケン・ウィルバーによると、魂とは…

夢とはなにか。

胡蝶の夢、という話がある。 荘子だったか。 夢を語るとき、池田さんが挙げられた話だ。 いままでの実感では、夢みているときの夢と、この目が覚めているときの この”現実”との肌触りや実感としての差異はあきらかに”現実”のほうが重く、 現実が夢で、夢が現…

一者の味わい。

ケン・ウィルバー”存在することのシンプルな感覚”を図書館で借りた。 絶版本で、古本での入手はちと困難なようだ。 明々白々なことではないだろうか。あなたは、すでに「今、ここに、いる」ということに気が付いていないだろうか。あなたは、すでにこのシン…

宗教、魔術、神秘学-そして日本に於ける死生観。

エニアグラムをやった。 芸術家、と出た。 やはり。統率者や、サラリーマンは向いていない。 逆にすこし自分を褒めた。よくぞサラリーマンでやってきた。 たぶん、性格より、”なんとか生き延びたい。”というか、 ”なんとか(こんな自分だが)ゴハンをGETした…

存在の謎。

ケン・ウィルバー「エデンから」を読んでいる。 備忘的に気になった箇所を抜き書きする。 拙著『アートマン・プロジェクト』において宗教的体験は大きくいって三種類の段階から成る、とのべた。各段階にはそれなりの手法や道があり、それぞれの視野や経験が…

無、とはなにか。

A NEW EARTH エックハルト・トール を読んでいる。 P.236より ”空間の本質は何もないこと、無だからそれは言葉のふつうの意味では「存在」していない。存在するのはモノー形ーだけだ。だから、空間と呼ぶのも誤解のもとである。名づけることによって、相手を…

憐れみ、とは何か。

引き続きトールを読んでいる。"憐れみの、ふたつの性質を覚えていますか?それは肉体の「死」と魂の「不滅」という、わたしたちすべてに共通の絆に気づくことです。このレベルの憐れみは、癒しになります。このレベルの憐れみは、「すること」よりも、主に「…

エックハルト・トール。

の、"The Power of NOW A Guide to Spiritual Enlightenment” (邦題:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる) を読んでいる。 英語版の題を読むと、”今(を生きる)力、今を意識する力”という感じだろうか。 日本で、”さとり”というと、基本的には宗教…

私探し。

”「私探し」というこの言い方が、私は以前からもうひどく気にいらなくて、(後略)” 池田晶子 「魂とは何か」P.21 トランスビュー 2009 池田さんがなぜに「私探し」が気に入らないのか。 上述に続き、理由が書かれている。 ”そんなの、探さなくたって、ここ…

だが、禅はものの固定化をなにより忌み嫌う。

全p.361 禅における言語的意味の問題 井筒俊彦 岩波文庫 一たん文節されて結晶体となった存在は、もしそのものとして固定的、静止的に見られるならば、文節される以前の本源的存在性を露呈するどころか、逆にそれを自己の結晶した形のかげに隠蔽するものであ…

誰が、何を

誰が何をやっているのか ということについて、なぜ(普通の)人はかくまで無自覚でいられるのか リマーク P.27 池田晶子 DEC.1997 01 より 中学3年で発症し、高校1年で亡くなった男子生徒の母であるひとの 講演内容を間接的に聞いた。 病室の弟に、姉は池田…

自分とは何か。

茅野に向かう中央線特急で、ケン・ウィルバー「無境界」を読み終えた。 気に入った箇所を抜き書くことにしているので、フニャッとした座席と横揺れの所為で久しぶりに電車に酔う体験をした。 セラピー、というと、精神に異常を来して駆け込む、というか、す…

無境界。

無境界―自己成長のセラピー論 作者: ケン・ウィルバー,吉福伸逸 出版社/メーカー: 平河出版社 発売日: 1986/06 メディア: 単行本 購入: 6人 クリック: 26回 この商品を含むブログ (7件) を見る 自分のなかに入っていけばいくほど、自分からはずれていくので…

ひきこもらない、ひきこもり。

妙なタイトルになった。 政治、とは、基本的に同調圧力への脊髄反射であると 思っているが、 ”ひきこもり”と見られる人々への対応、 たとえば、 ひきこもりは、ひきこもって税金を払わない(あるいは将来払わない)、老齢化すると生活保護受給者となる、 な…

限界とはなにか。

宇宙、を有機体や無機体の 集合とみるのなら おのずからその”限界”を感じるが そもそも限界とは、なにかとなにかがあってその境界線のこと なにかとなにかがどこまでも一つで あるのなら、 そこに限界はないだろう。 限界という考え方こそないのだろう。 た…

境界。

宇宙、はなぜ誕生したか。 この問いには、誕生前の宇宙(たぶん無)から、現在の地球含めさまざまな物質のある宇宙とが違っていて、なんらかの境界をへて変化したのだろう、という前提がある。 そうでなくて、無(である宇宙)と今の宇宙との差異はない、と…

老い、とは何か。

裏を見せ、表もみせて 散る紅葉 うろおぼえである。池田晶子さんの著書から教えて頂いた、一休宗純の句であったような気がする。 わたしの人生、なんとはなくだが、子供のころより、裏、とどうやら世間一般で言われている部分が自分の真の表ではないのか、と…

自尊心とは。

卑近な例から申し上げると、 例えば車の運転時。 同乗者から道の間違いや運転技術の不備を指摘されると、 大変不快になる。 池田晶子さんは巨大な愛犬の運搬のため、やむなくハンドルをにぎられ、 いろいろなところにぶつけたり、ぶつけたり、ぶつけたりと(…

アンドロイドはヒューマンズドリイムを見るか  

たぶん、将来こうなるのだろうな、と 感じるというか、”わかる”瞬間がある。 いつ、なのかはわからない、たぶん2000年くらい先なのかもしれない。 が、そうなるのだろうな、という感じを持った。 今、人類は遺伝子を触ることができるようになった。 数々の規…

好きなものは、美的なのか。

普段の生活、皆さまはわからないが、僕は日々眼のセンサーにて美的かどうかを無意識にチェックして生きている気がする。 これは、フツウなのか。 全ての人がそうではないような気がするが、結構な割合のヒトがそうであるような気もする。 全ての人が、そうで…