A NEW EARTH エックハルト・トール を読んでいる。
P.236より
”空間の本質は何もないこと、無だからそれは言葉のふつうの意味では「存在」していない。存在するのはモノー形ーだけだ。だから、空間と呼ぶのも誤解のもとである。名づけることによって、相手をモノ化してしまうからである”
通勤中、駅から会社までの短い一本道、小学生の通学を横目に空を見上げることが多い。空は、青かったり雲があったりするが、基本果てはないのだろう。宇宙につながり、宇宙がこれまた基本的には果てがないとの感覚である。
無限、ということは、限界がない、限度がない、境となるところがない、ということだ。
境があれば、こちらとそちらがあるはずだ。
だから境はないことになる。
通勤時に目で無限を見ている。だが、
この人間、ひとりひとりの中にも無限がある。
加えると、そこの雑草の葉一枚にも。
無、はない。だが無の在り方、は感じることが出来る気がしている。
そういうものである、というよりは、そういうことっである、という表現しかできないが。
”空間の意識とは、モノの意識ー要するに知覚、思考、感情ーをもつと同時に、その底流に目覚めているということだ。”
P.247
”「私は自分の思考のせいで動揺したりはしない」”
P.247