胡蝶の夢、という話がある。
荘子だったか。
夢を語るとき、池田さんが挙げられた話だ。
いままでの実感では、夢みているときの夢と、この目が覚めているときの
この”現実”との肌触りや実感としての差異はあきらかに”現実”のほうが重く、
現実が夢で、夢が現実である、とするこの話への共感は正直あまり
高くなかった。
だが、考えてみると、感じてみると、
今は起きているわけで、起きていればそこに居る”私”はそれを感覚としては
リアルにより感じるのは素直なところだ。
であれば、寝ているときは寝ている間のことを、夢をよりリアルに感じているわけであり、
それは現実での感覚と逆であり等価である。
価、といったが、比較はしないが。
そういうことと、そしてそもそも、
この世は幻で、
幻が別に”とるにたりない”とか
”重要でない、気の迷い”ではなく、
ただある。
そして夢も
ただある。
そういうことなのかもしれないなあ、とぼんやりと思う。