夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

幕末と吉田松陰。司馬遼太郎の文学についての初心者的感想。

夢中の夢は真と作(な)り

醒めて後、忽ち幻となる

何れの時か、大夢醒め

人生の患(うれい)を脱却せん

 

司馬竜太郎 世に棲む日日 新潮文庫第2巻 P.152 より

 

私は司馬遼太郎のそれほど熱心な読者とは言えないだろう。だが読むと感動する方だ。

多分皆さんもそうなのだろう。司馬遼太郎の書くものは、あくまで小説であり、小説では作者は創造の主であるのであり、いかなる創作も許されているわけだが、なんというか、司馬文学の特徴は、「これは本当にあったことだ」「そうか、こうだったのか」という感想を生むことではないだろうか。

あるいは、「こうであってほしい」という感覚もあるかもしれない。この部分は、もしかすると司馬文学が国民的文学であるがゆえに、あるいは難しいところなのかもしれない。

熱心な読者でない私は、司馬遼太郎が結構しっかりと資料を把握し、「実際にあったことをできるだけ正確に表そうとしている」という感触も受けている。本当のところはどうであったのか。

今回の京都訪問で、大村益次郎が襲撃を受けた場所であり、佐久名象山が暗殺された場所でもあるところに通りがかった。桂川のそばであった。大村益次郎のことは、吉田松陰のことを書いた「世に棲む日日」の前に読んだのだが、というより、解説に大村のことを読んだのであれば、その合わせ鏡としての吉田松陰高杉晋作のことも読むべきである、と書いてあったので、この本を読みだしたのだ。

私はあまり熱心な大河ドラマ視聴者ではなかった。だが最近は結構見ている。加えて暗記力がない私は通り一遍しか日本史を学んでいないので、ストーリーとしての幕末状況はあまり頭に入っていない。

だが切れ切れにいろいろと情報が蓄積されて来てはいる。その時代が今の時代の状況に大きな影響を与えていることも感じている。

冒頭に引用したのは、長州藩より江戸に檻送される途中の備中の山中で吉田松陰が詠んだとされる詩である。

鎖国の日本人の意識では、異人とは「異なった」人であり、現在の「外人」という一般の呼称もいまだ外に棲む人々はある意味「人外」扱いなわけだが(そのニュアンスを理解し、そう呼ばれることを嫌がる外人(苦笑)の人もいると聞く)、その言葉同様「(日本人とは)異なる人」であるという表面上の意味の他、「そもそも人には似るが、人とは異なるもの」という意識が生んだ言葉であろう。

この言葉一つで、鎖国日本が、人外である異国人に攻撃されることは、いわば異星人に侵略されたという意識とも通じる、日本人脳内での「異星人戦争」「宇宙戦争」でもあっただろう、ということも感じられる。

相手は基本同じ人間ではない。そう思っている人々が、それらの「異国人」が日本を併呑しようとしてきている、という意識となれば、これはもう「夢のなかのことが現実となった」という感覚でしかないのだろう。

冒頭の松陰の詩を見ると、彼自身の中にもそういう感覚があったように感じる。たまたまそういうめぐり合わせの時代に生まれた。日本人という「人間」が住む世界が、異星人のような人外の、人とは異なるものから侵略されようとしている。そんな感覚だ。

こういう理解であれば、それはもしそういう時代に生まれれば、人はいろいろと考えるだろう。活動するだろう。現実を変えようとするだろう。なるほどそういう時代であったのだ、という感想が生まれる。人々の熱い、熱すぎる気持ちの理由がわかったような気がする。

だがそれも含め夢ではないか。

人の世もまた、すべからく「大夢」ではないのか。

 

いつか人の世が、存在がある、というような「あたり前」の夢までが覚めて、「存在する」ということの根幹がひっくり返るときがくるのではないだろうか。

そしてその時初めて、自らもが含まれるこの世界のすべてが、「存在する」という「患い(わずらい)」のような「患い(うれい)」から、「目覚めるのではないだろうか」

 

そしてその時目覚めるものはなにか。

 

もしかすると「神」の目覚めなのかもしれない。

 

司馬遼太郎の描く魅力的な吉田松陰の詠んだ詩ひとつから、

いろいろな方向に夢想が奔ったようだ。

(またまた変な方向に行ってしまったようで、申し訳ありません)