夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

宗教、魔術、神秘学-そして日本に於ける死生観。

エニアグラムをやった。

 

芸術家、と出た。

 

やはり。統率者や、サラリーマンは向いていない。

逆にすこし自分を褒めた。よくぞサラリーマンでやってきた。

 

たぶん、性格より、”なんとか生き延びたい。”というか、

”なんとか(こんな自分だが)ゴハンをGETしたい。”

 

という生存本能に従ったからかもしれない。

 

なんとかゴハンをGETしている。今のところは。

 

日本に於ける教育制度のおかげの面もあるだろう。

 

悪名高い”理系、文系”の区別。識者はそんなものなくしてしまえ、という。

いやあ、勘弁してください。算数、できません。物理、できません。

 

それでもなんとか大学に入った。当時の共通一次では死ぬ気で数Ⅰを暗記(泣)し、二次試験は算数0点でも通るように、ということが目標だった。

 

好きな科目は専門にできなかった。

 

まあ、それでも。

 

将らず、迎えず、応じて而して蔵めず。

荘子より。

 

最近個人的に座右の銘としている語である。

 

仕事でのトラブルで、呪文のように唱えていた。今年の新人にも辛い時に乗り切る語として紹介した。

 

内容を考えていて、気がついた。これは、”現在しかない。”だ。

過去も未来もない(現在のなかにはある)。あるのは現在だけ。

それを未来に送ることもしない。

 

そのことが、具体的な心構えとなった語なのであった。

 

なにかを考えるにしても、まずは自分しかない。自分でどううけとめているか。

宗教感や死生観もそう。

 

もしかするとすこし一般の日本人とは違うのかもしれない。

父方神道、母方キリスト教、仏教への縁はない。

 

だが生活のなかで自然に感じる”日本人の宗教感”がある。

 

死ぬとなんとなく霊魂(幽霊?)になってその辺か天上を漂う。

復活(すくなくとも自分だけの意識では)はない。まあ、火葬だから肉体は灰になるし。

輪廻はあるかもしれない。あまり確証はない。

 

神は??仏はあるかもしれない。仏はよくわからないが、なんとなく死んだら”仏”の一員になるようなならないような。

 

そんな感じではないだろうか。

 

人によってはなんとなく仏のイメージがより強いのかも。地獄、極楽のイメージもあるといえばある。

 

自分が仏になる、あるいは仏(の一部)である、今、という意識はあまりないかも。

現世利益を与えてくれる、見返りを求める神(仏)たのみ、はあるなあ。