わたし、ドSですから」。
その言葉を転入してきた女子社員が自己紹介のなかで言うのを聞いて、部内の人々が一瞬凍り付くのを感じた。
ドとは「超弩級」から来た言葉で本来は石弓のことであるようだが、まあ、語感もあいまって強調語としてポピュラーだ。
Sとは、もちろんサディズムのことで、サド侯爵(マルキ・ド・サド(Marquis de Sade, 1740年6月2日 - 1814年12月2日)正式名は、ドナスイェン・アルフォーンス・フランソワ・ド・サド)に由来する。
基本性癖に関する表現で、日常生活ではあまり使わない、と思って育った面々であったのだ。
だが、言葉は変化し、その由来を知らない、あるいは知っていても、同世代のコミュニティでは、それほど深刻ではない、日常会話の形容詞と変容する場合がある。
ポルノグラフィティ、もそうだろう。かつては口にするとやばい雰囲気があったが、アーチスト名となってからはごく普通に耳にするようになった。インパクトがある名前であり、ある年代以上であればその名前を聞くとすこし挙動不審な反応になることもあるだろう。
そのあたりが、世代ギャップということではある。だが、自身のコミュニティで使ってはいるが、結構語源は微妙だ、ということは知っていてもいいのかもしれない。
まあ、言葉を言葉としてそのまま覚えるのと、その語源を意識して使うのとは、少し違った行為であるのだが。
いまなら、その時の女子社員が、我々が思ったような意味で、「S」を使ったのではないだろう、と思ってはいるのだが、結構その理解には時間がかかったことを告白しておく。
閑話休題。
心に懸念があるなら、別の考えをぶつけて相殺するといい。
ということを考えてみると昔からやってきた。
以下、気分が落ち込みながら出社するときに、唱えてきた言葉たち。
この言葉(結構長い)を唱えると、本日会社で遭遇しそうな嫌なことが、私の少ないメモリーの中で消えてゆくこともあるのだ。
いろいろな書籍からの寄せ集めであり、もはや良く出典も覚えてはいないのだが。以下覚えとして示してみる。
わたくしは、非の打ちどころのない全体で
力強く愛と調和にあふれ幸せである。
幸せだなあ、豊かだなあ
(延命)十句観音経
観世音 南無仏
与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心
この経は江戸時代に臨済宗を再興した白隠慧鶴(1686 - 1769年)が重視したもののようだ。
いかなることがあっても物事を肯定的に考える
常に一歩でも二歩でも前進することを考える そのために努力することを惜しまない
いかなるときでも人生に対する明確な目的意識をもちつづける
自分を信じ他人の否定的な言動に惑わされない
大事に直面して失敗を恐れない 必ず成功すると確信する
将来の望ましい自分の姿を、常にありありと、微に入り細にわたり想像する
そうすると想像どおりの人となると確信する。
こちらは道幸武久氏の著書「加速成功」から学んだ「成功6か条」。
これらの言葉を、主には脳内にて唱えることで、心配やストレスのケアをしてきた。
今も時々、出社時に唱えたりしている。
(会社生活はいろいろストレスありますからねー)