夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

アルコール量と存在文節。

昨日は結構歩いた。19202歩。だがあまり無理をすると逆に体に悪いともいう。2万歩くらいがいいところだろうか。

最近は酒の量を意識してコントロールしようとしている。昨日は生ビール小にハイボール2杯。ビールはカウント外(何故?)として、ハイボール2杯であればアルコール量は10gx2=20g。

生小は300mlとして、300xo.o5(アルコール度数)x0.8(比重)=12gとなる。合計で32g。できればアルコールを20gに抑えたいとすると、ハイボール2杯が適当であろう。

次回はいきなりハイボール、ということにするか。

つまり生物は、動物的次元において、既に存在を「文節」しているということだ。人間の存在文節のソフィスティケーションと比べて、それがいかにプリミティブで、単純であるとしても。
井筒俊彦 存在の深みへ P.65

存在文節というとすこし抽象的であるが、要は文化のなかの日々のなんだかんだ、ということであろう。例えば飲み会、コミュニケーション(コミニュケーション?)。動物であっても例えばサルの毛づくろいは、別にノミがいようがいまいがやるという。そういう行為が存在の文節化、というわけであろう。

これがつまりは「文化を生きる」ということか。文化とは壮大な生きるための知恵であり、時間をやり過ごす手段ともいえようが、それらを通して個人が積み重ねた(別に人でなくとも、「個」といってもいいかもしれませんが)経験が、アカシア年代記に積み重ねられている、というのが、超越者が存在を無聊の慰めのために作った、という、これもなかなか壮大な幻視ビジョンである。

(結局すべては好きなように、自身の嗜好にそって考えるしかないのでしょうね。。。)

 

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