昨日の続き。
二人の目には、当時の学問の大勢が、空漠たる物しりの多弁と映じていた。何故そうなるのか、何故、学問が、生活常識から浮き上がって形式化し、「物知りたち」の業となるか、学者が、その根本的な考え方のうちに、生活常識への侮蔑を秘めており、これに気がついていないからである。
小林秀雄 考えるヒント2 考えるということ 文春ウェブ文庫 34%
「学者」と呼ばれる人が、気づかずに纏う、生活常識への侮蔑の感情。侮蔑とまではいかなくとも、軽んじること、ということだろうか。
人は自分が軽んじられていることに、とてつもなく敏感だ。それを感じると、ダイレクトに相手を「恨む」ことになるだろう。
最近の政治では、学問とは端的に実学のことであり、それ以外の学問を行うのは「ディレッタント」的であり、余裕がなければやってはならないものであり、贅沢で不要なものである、というメッセージがあるように思う。
これはもしかすると、「政治家とは学者に馬鹿にされるものだ」という、政治家自身のルサンチマン的感覚の故が大きいのではないか、と思っている。
学者はそもそも本来は政治を気にしていない。いや、気にしていなかった。相手にしていなかったというほうがいいか。
そこを「研究費用」という「弁慶の泣き所」を押さえて、「ぐうの音をいわせないようにした」ということなのだろうか。
ではなぜ、「(すぐに)役に立たない学問」を目の敵にするのだろうか。
これはやはり「うらやましい」「くやしい」「頭がいいと思うなよ(自分だってまあまあ頭がいいぞ)」と言ったあたりの感情なのだろうか。
小林は、というか本居宣長と荻生徂徠は、学者の側の「知らず纏う生活感からの乖離」がそれらの感情を反作用として引き起こす、と言っているように思う。
そこにあるのは「仲の悪さ」だ。お互いの歩み寄りのなさである。
だが、あゆみよるためには、宣長や徂徠がいうところの、そして小林がいうところの、自らの身になった知識からくる「考える」と、考えた結果が、必要なのだろう。
そこにあるのは、「納得」だ。ああ、そうなんだ、という感覚。
それがあればもしかすると、もう少しきちんと学問は、扱われるのかもしれない、と思っている。
(考える、ことの難しさですねーーーー)