夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

学者さん。

池田晶子メタフィジカル・パンチ。

P.134 ”学者さん”の項。

(前略)「役に立たないことをする人は役に立たない」という、そう思うことで実は半分安心するための方策なのだ。


P.138

観察していてしばしば感じるのが、「自分の方が頭がいいと思われたい」ためにする議論や反論である。

P.140

真実を知ることと、よい人間として生きることを別々に考えられるわけがないのだ。なぜなら、真実とは何かと考えているのは、他でもないその人のはずだからである。真実を知る人が、真実の人でないのはおかしい。



学者である、ということにはどうも2通りあるようだ。

哲学、も同じ。

学ぶことを、考えることをやむにやまれずやっている。
生業としてやっている。

後段はもちろん、残念なことだ。だがしかし、”学ぶことを続けたいが故に生業となるように頑張る”、というシチュエーションに人は出会う場合がある。

そう、”就職”というやつだ。


皆前段でありたい、というか、心から前段でしかない人はいるだろう。

しかし、さて、いまから”食べるために稼ぐ”ことが必要だ。

その時が、そのことをどうするのか。

大きな、人生の、転機になるだろう。


かつてのヤンキー。高校卒業と同時に”真面目に働く”。

だから今”やんちゃする”。


WORSTやクローズの世界である。僕は実は結構好きな世界でもある。

その中では、”地域が世界”で”世界一強い男(その世界限定)”が無意識に比較選別されている。

WORSTの「花」は、その世界の外から来て、去ってゆく。

いわば”かぐや姫”。

だからその世界の”狭い”基準に無意識に当てはまらない。


狭い世界で生きて、ヤンチャして真面目に働き、年老いる。


そんなロールモデルを壊しつつ、最後はより高い視点で戻してゆく。

そんな漫画だったように思う。


学者も、そうかもしれない。”真面目に働く=学問をあきらめる”。あるいは”企業の言う通りにする”。

それでいいのか。

それでいいわけない、でも、しかたない。


そんな葛藤があるのである。そこで池田さん。いわばWORSTの花のように、”それでいいのですか?”と軽やかに問いかける。

あなたがあなたの生を生きる。そのことがすべて。


学ぶ姿を揶揄して”学者さん”などと呼ぶ心持はたまらなく卑屈だ。たまらなく下品だ。腐臭がする。

そんな心持に、なりたくない。

いやな響きが、この「学者」という言葉に染みつきすぎている。「先生」もそう。いや、これはカタカナの”センセイ”に近いのかもしれない。

先ほどの”哲学者”および”哲学”。


正しかるべき、真摯なことばを、貶め揶揄する心根こそ下品。


そのことをわかって、わかったうえで、人生の”学び”を、もう一度見つめなおすこと。その結果はさまざまであろう。


そんな生が、いいなあ。

いや、えらそうなことを言いました。自分が、すでに、サラリーマンでした。。。


メタフィジカル・パンチ―形而上より愛をこめて

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