夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

阿頼耶識。

今朝の体重は66.5kg、体脂肪率は9.8%であった。
昨日一昨日と昼に白米を結構食べている。昨日の定食は300gはあっただろうか。普通盛りにもかかわらず、だ。

そうはいっても色々な情報を得る中で、繊維質は必要という感覚がある。近くのまいばすけっとではかぼちゃがとにかく高価なので、バナナが頼りなのだが、そうは言っても少し不足している感じがある。

自分で決めたルールは、自分で破っていいのだ。ということで、昼に遠慮せず白米を食べている。多分てきめんに2キロは太ったようだ。だがまあ体脂肪率的にはそれほど問題はないだろう。

井筒俊彦、意味の深みへ P.90より引く.

唯識派では、「種子」のいわば溜り場として、阿頼耶識(ARAYAーVINANA)NAなる意識下の場所を意識構造モデル的に措定する.アーラヤとは貯蔵所、収蔵所の意味.よってALAYAーVINANAを漢訳仏典では「蔵織」と意訳する.音写としては、阿頼耶識のほかに、阿黎耶識、阿梨耶識など。

虚無ではない単なる「無」こそが原初の姿であるならば、有であるということはオプションと言えるだろう.オプションとしての「存在」が、「神による退屈しのぎのゲームである」と称するのは、これは実際に神が存在してゲームをしている、という具象を示しているというよりは、比喩的な表現であるといえよう.

ではあるが、ではそれはそうではないのか、というとそうでない訳ではない.

どんな「些細で意味のない」出来事も、「意味のある」出来事と等価である.評価は単に個人の、文節として仮に分かれた「個体」の、感覚に過ぎないからだ.意味のあることは重大であってほしい.これは感傷的な哀惜である.詩的感覚である.無論それが悪いわけではない.むしろいいのであるが.

重大であろうがなかろうが、生命的であろうがなかろうが、全てはわざわざこうしてブログなどに残さずとも、阿頼耶識潜在的無意識に不定形で残ってゆく.

そう信じることで、まずは今生、良いのではないだろうか。

(なんだか大袈裟になってしまいました笑笑)

 

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