夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

3月26日 私が絵を描く理由。けっこう忘れる。日記について。あとは自炊大学版大学院入学用キムチ丼を作ったことなど。

昨晩の体重64.7kg、体脂肪5.7%、今朝の体重65.3kg、体脂肪10.7%。

 

昨日は思いついたのことを早速実行。近くの「豚大学」の大学院入学のための予備試験として、玄米2合(推定660g)とキムチひとパック(300g、203円、まいばすけっと)プラス納豆ひとパック、卵黄2,ゴマ、といった感じで総計1kg弱であろう自炊版特大キムチ丼を作って食べてみたのだ。

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まったくノー問題ですぱっと食べきった。というか物足らなかったりした

 

米2合というのは、大したことないなあ、と思った。

 

会社かえりに版画工房に寄ったが、途中にあるまいばすけっとと100円ローソンで

もやしx1、たれなし納豆5パック、上記どんぶり使用用のキムチ(これはまいばすけっと)、卵10個225円税込み、おかき(これは100円ローソン)を買った。

 

キムチを食べすぎると、多分からだから自分では気づかないながらにおいがするはずで(これは多分味噌も同じ)、あまり食べすぎないようにしよう、と思ったところだが、豚丼用の肉300gが買えないので(気持ち的に)、同じ300gで203円と比較的安いキムチで代用しようと思ったわけだ。

 

西洋人が日本に飛行機でくると、空気に味噌のにおいを感じる、と聞いたことがある。今はあまり味噌を食べる日本人も減っているだろうから変わっているかもしれない。私も仕事で香港に行ったとき、豚の油のにおいがするのを感じたものだ。

 

もやしを買う度、なんだか残念なはずかしいような気持ちになっていたが、もやしにはアスパラギン酸が含まれ、むくみ防止、新陳代謝促進、疲労回復、疲労物質のエネルギーへの変換、といった効果があるらしい。ということで、安いから、繊維質だから、というだけではなく胸を張って(?誰に??)今後も買いまくろうと思っている。

 

結局冒頭記載の通り、朝起きたら600gほど体重増していた(´;ω;`)。

 

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荒川洋治氏の日記に関する新書を読了した(「日記をつける」岩波アクティブ新書 16)。

 

ここに書いているのも日記だが、残念さをだいぶ全開に出しつつ、やはり不特定の方がご覧になる、ということも心のどこかに残している。なのですべてが書ているわけではない。

 

そして人は忘れるものだ。他人がよく覚えているのに、自分では全く記憶がない、という事も多い。あるは逆も。

 

荒川氏は少年期から日記を書いてきた方のようだし、私の好きな別の作家である山田稔さん(御年93歳?)も過去のご自身の日記を紐解いて、あたかも他人が行った行状であるかのごとくそれを題材にして小説を書かれる。

 

それは小説なのだが、たぶん書かれていることは事実なのだ。主にそこに関連したご自身の自分の気持ちが入っている点が”小説”なのだろう。エッセイのようで、エッセイではなく。

 

今まで私は日々のこまごまとしたことをあまり日記に書く習慣はなかった。これからもどうだろう。

 

荒川さんが勧める項目は例えばこうだ。152pあたりから引く。

 

 

 衣服の傾向/どんなものをよく着ているか。

 会社の人たちの描写/いつもあたたかく見つめてくれる人、こわい人、名前の知らない人、よくすれちがう人など。

 いまの仕事/ちなみにぼくは半年に一度、連載の件数を書き出し、これでこの先、生きていけるのかどうかと考える。

 家族のありさま/父親、母親、夫、妻。子供の成績・成長・素行。ペットのようす。よく家のなかに入ってくる虫。ぼくのいなかの家は隙間が多いのでイモリ、ヤモリ、スイッチョ、ゲジゲジなど。この夏はちいさなカニがよく畳の上を歩いていた。

 男性観あるいは女性観/いまいちばん親しくしている人、次のひとなど。各ポイント別にたしかめ、「男」のぼく「女」のわたしを正直にレポート。

 いちばん心を占めている問題/心境をほりさげてみる。

 政治、社会の大きな動き/事件・事故、亡くなった人など。日記のはしに、ちがう色のペンなどで記すと、あとでわかりやすい。

 と、このようにいっぱいある。忘れることは、つけておこう。

 

と大変親切で具体的に指南されている。感じるのは「詩人のこころ」。ものごとをまっすぐ、(偉そうに言って恐縮ながら)素直に感じるこころをお持ちであるということだ。

 

私は多分あまりこういうことを書けない。だから忘れてしまう。それはこれらを書くときに、書く人の取捨選択や書きようから、その人(自分)の根っこがだだもれになる、と感じるからだ。それを、露悪的に書くのはしんどい。

 

たとえ人に読まれない、が前提の日記であろうとも。いつかどこかで目に触れるかも、と思うわけだ。

 

という意味では、私は「私小説」をかけないだろう。どこまでいっても、こころの奥は隠している。

 

だから私はたぶん「詩人」にもなれない。だがそれをひねくれた形で絵にすることはできる気がしている。

 

多分そう思っているから、

 

私は絵をかくのだ。

 

(絵なら結構本音を出せている(=完全ではありませんが)気がします)

 

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