夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

心にひっかっかる。

借金がよくない、ということは言われるのだが、昔は本当に返せるのかわからない身分不相応なものを、我慢が出来ない自分の性格からすると、確かによくないのかもなあ、と内心思ってはいた。

だが世間のスタンダードで、住宅はローンでないとまあ買えないわけで、保険はまあ子供がいれば自身が亡くなる前には後悔しかないわけで、そのあたりをうまくつくことで、保険業は成り立っている。不安こそが商売の契機なのだ。

だが借金をすると、こころの端っこで常に「借金あるなあ」と思っている。眠れない時に眠らねばと思うと眠れないように、借金のことを考えるのをよそう、と思えば思うほど、忘れられなくなる。呪いのようだ。

これで、日々のエネルギーの数%はいつも消費している感じになる。

会社での心配ごとはあるものだ。

四六時中考えているとたまらない、という自然な体の欲求で、時に人は「酒を飲んで強制終了=就寝」する。この図式は効果的なので、オーバードーズと同じで依存することになる。アルコール中毒だ。

物を買ったり、集めたり、という行為で、脳の容量を無意識で占有することで、心配ごとを考えられないようにする、ということもある。私は蒐集癖があるが、たぶん自然とこの「脳の占有」のためにものを集めて来た気がするのだ。

逃避、とは心配ごとをほかのことで脳の中での割合比率を下げることかもしれない。

借金も心配ごとも、ないほうがいい。だがそれを持ち続けてきたひとが急になくなると、これまた弛緩してしまう。いわゆる定年後のぼけである。

定年後は、意識して自身にとっていやなストレスにならない、良いストレスをかけ続けるような生活が、良いのだろう。

では自身にとって、良いストレスとはなんだろうか。

そのあたりをいま考えている。

 

いま「版画」という手段がある。

昔は漫画が好きで、自身でも描きたいと思ってはいた。だがどうやら、量産に向いていない。体力、気力がない。人物は描きたいが、背景は描きたくない。これでは漫画は難しい。

今は試行錯誤で版画に取り組んでいる。楽しく、やっている。

(時間があれば、たくさん制作できる、とうわけでもないんですねえ。。そのあたりはどうやって「フロー」状態に自身を持ってゆくか、ということがキイだと思っています)