夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

めんどくささを意識すべきか。

昨日の体重(朝食後)66.3kg。体脂肪率15%!!こ、これは。。。この7-8年で一番の体脂肪率ではあるまいか!!とショックを受ける。

そして今朝の体重(朝食前、あ、バナナは食べたかな)。65kg、体脂肪率5%!!特になにかしたわけではありません(まあ、日中に8000歩くらいはあるいたが)。まさに天国と地獄。いったいどないなっとるのか。

とつい普段の口調もでますが。

で、めんどくささ。

 

昨日雨の中、川沿いを歩いていた。川面にくっつくくらいに枝をたらした桜があり、花見の季節には陶然とするわけだが、この時期は当然はだかんぼ。でももう1月、4月はそれほど遠くはないのだ。

そうするとコロナが始まって3回目の花見となるのか、と思った。こんなおっさんであると3年もあっという間だが、例えば高校入学された方でリモート多めであれば。また(今はあまりないのかな?)短大2年であれば。あるいはリモート多めの大学生であれば。

いろいろ大変だと思う。大学だと単位取得はレポートが多くなり、この前読んだ新聞では、レポート提出はレポート提出のためのレポート提出になっており(あたりまえか)、理解の深堀りに欠けるように思った、という、これは大学教員の方の感想であった。

大学によるのだろう。先生にもよるのだろう。だが、その感覚はわかる。

しかたがない。しかたがないのだが、場合によっては学べてないだろう。単位は、貰えるだろうが。

それが不幸なのかどうかはわからない。だが学部によってはそこで得られるべき知識が社会人となってのち結構重要になることもあるだろう。そうでもない部もあるだろうが。

私がもし大学生であったなら。好きな科目でなければ、間違いなく最小限の労力をかけることになろう。「めんどくさい」からだ。

この「めんどくさい」とは、「いままでやっていたが、コロナの影響でやらなくなること」である。好きな学科ですきなことを学んでいれば、学ぶだろう。大学を出た、という証明(これは私もそうでした)がいるだけなら、勉強はしない。

マスクで、笑っても見えないので、表情が乏しくなり、口角が下がる人も多いと聞く。実際には笑っていることはわかるので、表情を乏しくする必要はないのだが「ついそうなる」。これがめんどくささのこわさである。

化粧しない。下品なところで行けば「鼻の穴の手入れがおろそか」となる部分があろう。見えない部分の手入れは、人によってやるやらないの差が大きいと思っている。

個人的には、通勤時に人の姿を見ることが減った。姿、というか顔を、だろう。いや、顔を見られることは皆さん嬉しくないかもしれないが、個人の行動として見なくなった、ということだ。どんな人が電車で乗っているのか、すこしは意識するにしても、大幅に減った気がする。

私は版画、それも人物(幻想人物だが)を描く方なので、人物を通常よく見ていた気がする。だがマスクで顔はよくわからない。人によってはわかりそうなひともいるが、やはり鼻、口、顎が見えないと、顔の情報としては半分以下となる。

 

いろいろなところで、めんどくさくなっている。服装なども、どちらかというと着た切りになってきた。活気ある日々を送る、という意味では、すこし問題のような気がしている。

(解決策は、あまり思い浮かびませんが。。。)