夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

バーチャル悲話。

最近は晴天時はなるべくサングラスをしている。黒いのはすきなのだが、前に”経済ヤクザですか?”となってしまったので、ユニクロの1500円の透明ガラスのものをしている。まあ、気休めかもしれないが。

 

マスクに伊達メガネならぬ透明サングラスで歩いていてふと思った。口と目に遮蔽物があって外界を歩いている。これはもしかしたら、今後起きるであろうバーチャル旅行に似ているのではないだろうか。

 

想定する(勝手に)バーチャル旅行とはこのようなものだ。映像装置が整備された密室(映画館的な)に座る、あるいは歩きながら、映像記録を3Dで見る。温度や香、湿度、音などはサラウンドで調整だ。好きな場所を選んで”実際に訪れたように”感じる、というしくみだ。

 

これが進むと、実際に行かずに、安価に、時差ボケなしに、疑似旅行ができる。希望すれば別室でその地方の料理なども食べられる。お土産も、買える。

これでいいのは、貧乏でも旅行気分に浸れることだ。無理に、例えばエベレスト、とはいわないでも富士山山頂に上らなくてもいい。宇宙旅行も可能だろう。

 

素晴らしいだろうか。ある程度は。だが、所詮こどもだましだ。

子供だまし、という言葉は、子供を馬鹿にしているだろうか。大人だまし、でどうだろう。

 

昔私はCGにびっくらこいた。今は。どれがCGか、CGに違和感があれば、予算をちゃんとつかわんかい、などとただ否定的な気分になるだけだった。

 

実写といわれるディズニーのアラジンをTVでみたが、やはり”ここはCGだな”とか、なかなか本物っぽいな、とか、そのような感想ばかりもってしまった。あらさがしの時間は、陶然とする時間とは対極のものだ。

 

まあ、無理して行かないし、コロナも収束はしないだろうから、これから実際に旅行するより、バーチャルで、という方向はあるだろう。旅行のニーズに、影響はあるだろうか。

 

映画は、だまし要素は少ない(除くCG)。映像を、ストーリーをお見せしますという前提は、提供側・受領側共に明確だ。だがバーチャル旅行はどうか。どこか、”代替カニカマ”的な印象しかない。個人的には。

 

動物は自動的に食物のタンパク質内包量を感じ、絶対量を食べるまで食物を食べるという。タンパク質率の低いスナックなどだと、大量に食べてしまう所以だ。やはり小麦粉やコメは、含むタンパク質率が低いのだ。

だが、私が大好きなバーベQ味のスナックなどは、味覚がタンパク質を多く含む食品だと誤認しているようだ。このあたりの、本能をチートする行為、そんなものに、このバーチャル旅行は連なるもののように、感じる。

 

わかって、入ればいいようだが、はじめはわかっていても、それが当たり前になってしまえば、”悪貨が良貨を駆逐”するような事態に、なるのかもしれない。

 

(私が遊園地に今一つ乗れないのも、この”チート感”からかもしれません。まあ、ジェットコースター系は単純に怖いのですが。今ならCGになるはずのところを、実際の映像美で見せる”ザ・セル”という映画を見ました。これには陶然としました)