夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

年長者の言うことは聞いておこう。

と、のっけから挑発的である。

どう挑発的か。いや、なかなかに聞いておこうという年長者の言葉に頻繁に出会うわけではない、ということがあるからである。

ここも僕が池田晶子さんに共感するところだが、若い頃は”政治家”というものが上手く理解できなかった。というか、理解できすぎていたのかもしれない。

”自分の食い扶持を得る為に汲汲としている人にため、何故に私は選挙になぞいかねばならないか”

そう感じていた。今はまあ、好き勝手にされた苦い経験からそれをまどろっこしく牽制する機能が実はそのほとんどの理由であるかもしれない、ということもわかるが、それにしてもその理由は”相手が本質的に信用できないから”であるのはなんとも残念ではある。

選挙に行きましょう、国民の義務だから、というキャンペーンでは行かなければならない理由は特に説明されず(義務だから、といわれるとまずは反発する性質もあり)、もしかしたら戦争体験等のとほほな自己経験がないとそこは実感が難しく、”いや、選挙で落とす、という脅しをかけないとなにされるかわからないから”とまさかキャンペーンでも説明できなかったのかなあということが、最近になってやっとこさなんとなくわかってきた。

大衆迎合主義がいかん、ということもよく聞くが、こう言えば皆さん喜んでいただけますよね、といった思惑が見え見えの政策を聞けば、それはまあ選挙で当選するという目的があれば僕もそういうかも、とは思うことは思うのだが、しかしなんというかやはり付き合いきれないという気はする。

読売新聞の新春対談、橋本五郎氏と曽野綾子氏の対談であるが、曽野氏のコメントは今回のタイトルを捧げたくなるさすがの重さがあった。

”非常に多くの政治家がどう見ても、票や権勢のために動いているように庶民は思っている”

ここで”庶民”ということばは曲者であり、そのことはまた考えたいと思うが、ソコのところは置いておいて、やはり皆さんそう考えていたのか!

政治家に求めるものとして”賢いというのも、最低は見え透いた愚かなことをしないこと。それだけでいいと思います。”

政治家へ求めるものとして、実際と実力を見極め見切った、非常にリーズナブルなところである。さすが、年長者のいうことは違う、と唸った。

そして”生き方”(池田さん流に言うと、”死に方”かもしれないが)としてこうおっしゃる。

”文化とか自分の個性は「能動」で作るべきでしょう。「たとえ間違っていようとも、これをやるんだ」と。それが今は「受け身」。そのおかげで日本全体がどうしようもないほど幼稚になりました。”

長く生きた方が後進に直裁におっしゃる、強さと本質がある。1日に前編が載ったが、明日の後半も待ちたいと思う。この辺りを引き出す橋本氏の手腕もさすがである。


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名著のことば

”音や匂いが色をもち、感情に目方があるように、空間はそれに固有の様々な価値をもっている。”

レヴィ=ストロース 悲しき熱帯 1 中公クラシックス P.201

元日、初日の出、というある意味特別な時間を昨日過ごしたわけだが、日本という国全体にとってこの”正月”という文化的特殊時間&空間は、やはり特別なものなのかもしれない、とこのストロースの言葉を読んで、ちらりと思ったりした。

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

年長者、といったが、考えて見れば本の世界の中には、それこそ何世代もの、全ての世代の叡智が、”時の濾過機能”を経て残って来ているのである。わずか数世代の知恵が、それも過去のものに拠った考えが表されている場合も多い”現役世代”の新刊をつい手に取ってしまうが、やはり”古典に帰れ”かもしれない。


そういう意味での”年長者”の言葉にも、意識して耳をそばだてていきたいものである。