夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

匿名性について

FACEBOOKが発生したアメリカ等海外で、なぜに世間で実名を公表することが可能であるのか、を考えてみたい。

 

① 匿名での発言が、卑怯と思われている世界である。
→実名での発言でないと、影響力が発揮できない、あるいは発生しない。


② 日本では、匿名の発言に匿名で反応でき、同意でき、攻撃できるWEB空間である。匿名の相手に、匿名でぶつかれるので、その発言内容はより本音であり、より限界がない。
→実名を出しても、匿名で攻撃されることになる。それはしんどい(叩かれ損になる)。


③ みんなが実名である世界では、匿名での攻撃は卑怯で姑息なものと認識されがちであり、匿名発言者の自尊感も毀損する。自然自身も実名で、となりがちである。
→そこで仮に匿名で攻撃をうけても、匿名であるだけで”姑息な相手“という印象がアメリカWEB空間では共有される。したがってそうした相手に反応する必要もない。

 

そのあたりだろうか。なので、現状みんなが実名な米WEB空間に新規参入するなら実名で、現状みんなが匿名である日WEB空間への新規参入は匿名で、となるのであろう。
つまり、大勢の発言姿勢が変わらないと、実名中心か、匿名中心かは変わらない、ということになる。ただし


④ 匿名WEB空間主体である日本人にとって、実名で“堂々と”議論している米WEB空間はよりまぶしく、正しい空間であるような、ひねくれた気持ちになってしまう。

 

という副作用はあるだろう。だがこうして自分で整理してみると、それぞれの現状ではしかたがない、とも思う。

 

より本質的には、議論の姿勢や経験の差、というところが原因であろう、つまり


⑤ 議論を議論として行うことを教育されるものと、そもそも議論が存在しない世界の差。どんな暴論と思われることを思っていても、議論を離れれば友人となれる社会空間にいるものと、自分とは別の意見を持っている時点で敵認定となる社会空間にいるものとの差である。
→いままでの日本空間では、本質的な議論、はほぼ存在していない。”日本的議論“では議論する者同士の属性やSPECが大きく影響するので、正しい議論となることはほとんどない。特に政治空間では。議論したくても、議論で例えば”年長者“に勝ってしまえば、一生恨まれるリスクがある。そもそも議論=勝負、と思ってしまうこと自体、非常にプリミティブな状態である。

 

こんな社会に居れば、議論することを忌諱する気持ちになるのは自然である。

だが、このコロナで、このどうしようもない議論不毛地帯である日本で、違った景色が見えてくる気がしている。

つまりは、WEB会議が今後デフォルトとなってくる、という変化に伴う、人々の意識の変化である。

森喜朗氏が、女性は発言が長くめんどくさい、といって叩かれ辞任したわけだが、これはWEB会議により氏が面倒な気持ちを持ったことが遠因では、と思っている。
つまり、

 

面着会議では、森氏はじめ重鎮がめんどくさすぎて、女性陣のみならず若手陣もすなおな発言をする気がしない(→面倒な反応をされてしまいそう)。

 

最近のWEB会議では、顔出しも減ってきた。そういう場であれば、自身の経験からも、発言することの心理ハードルは凄く下がっている。

 

全くの推測だが、コロナで森氏が出席するWEB会議もあったのではないか。そこで心理ハードルが下がれば、面着では森氏が聞いたこともないような発言が活発になされたのかもしれない。
そこで森氏は“女性は発言が長い”という感想を得たのではないだろうか。

 

WEB会議が普通の社会の会議体となると、いままで面着では発言が苦手であったものが、発言しだすのである。私もリアル会社で、経験している。ちょっと発言してみるかな、という感じになりうる。そこでは面着による“空気の醸成”がないのである。ここで私のような若造が発言していいわけない、というような思いはありうるが今までとくらべて少ないだろう。

 

そうなると、会議は純粋な“議論の中身勝負”となるだろう。個人の実力と真価同士のぶつかり合いだ。議論としてはあらまほしい方向ではあろうが、経験、人脈、雰囲気、めんどくささで会議をリードし、押さえつけてきたような年長者は、そこに実力がなければお役御免になってしまう。

 

厳しい、競争社会の開始でもある。あたらしい仕組み、あたらしい、アイデアがより有用である世界で、旧いSPECの人間はお役御免となってしまう。

 

変化の時期である。だが上記で考えると、より欧米のように”社会人になったのちも学び続ける“(=最新情報をインプットし続ける)という必要性が、急激に高まることになるのだろう。

しかし、変化がある場合、急なシフトチェンジが困難な世代(能力的に)は、生きていくのが難しい世界に、なる面もあるだろう。


匿名性をひっぺがす方向で、日本の匿名空間が変わってくる可能性もある。“言論暴行罪”のように、相手に心理的暴行を加えた場合は匿名でのものであっても個人を訴訟により特定できる、という方向となる可能性が高まっている。WEBでは発信者はその気になれば特定は容易であろうから、その方向になれば、実際のWEBでの個人攻撃は減ってゆくことになるだろう。

このあたり、難しい問題だが、ハラスメント問題同様、時代により判断が変わってゆく項目であるのだろう。


(いい方向ではありますが、過去の情報がのこってしまう、という面からすると、遡及が可能だといろいろな意味で微妙ですね。もちろんわたくし、FACEBOOKは怖くてやっていません。。)