夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

6月5日 小林秀雄「感想」におずおずと手を伸ばす。

今朝の体重67.9kg、体脂肪7.9%。うーん、昨日は画廊のオープニングパーティがあって飲んだり食べたりがあったので増えた感じである。

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体重に比して体脂肪が少ない感じだが、これは酒を飲んで脱水状態になっているのかもしれない。最近は普段は飲まないので、ついつい飲む機会があると飲みすぎてしまう。

食べるほうは、おつまみ程度ではあったが、帰宅途中でまいばすけっとに寄って食品とバケットを購入した。で、帰ってまた少し飲んだ。ワインのつまみにバケットがいい感じなのである。

 

今週は版画工房の展示週間なので、できるだけ画廊に寄ろうと思っている(これを書いているのは5月26日)。

ので、まあちょっと運動不足になるやもしれない。。

 

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さて、中身はよくわかっていないながら、最近の私はベルクソンブームである。そう、小林秀雄の「感想」を読んでいこうということで、まずは本をぽつぽつ入手しているのだ。

 

小林秀雄の「感想」、小林秀雄全作品シリーズの別巻1(P.19)から引く。

 

ベルグソンの最後の作は、次の様な一文で終わっていた。

「人々は、大きな手段、小さな手段、のいずれを選ぼうとも、一つの決断をすることを迫られている。人類は自分の手に成った進歩の重みに、半ば圧し潰されて、呻いている。人類は、自分の未来は、自分次第のものだ、という事を、まだ十分承知していないのである。先ず、これ以上生存したいのか、それともその外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦遂行されるのに必要な努力をしたいのかどうかを」 

 

さて、ここだけ読むと内容の理解もなかなか難しい。まあ、もちろんここに至る流れがこれだけではわからないから、ということもあるし、いままで私はベルクソン(小林はベルグソンと表記しているが)の文章をまともに読んだこともないからである。

 

また、ベルクソンが、いままでのいわゆる”哲学界”でどのように扱われてきているか、についても、理解していかねばならない。とにかく知識的には真っ白なのである。

まあ、そういう前提で、ただこのベルクソンが最後に記したという文章を読んでどう感じたか、である。

 

なんというか、人類の来し道、今後どうするか、というところに関するベルクソンの総論、いままでの自身の考えの総論、が示されている気がする。

 

ここで、ベルクソンは①人類がこれ以上生存したいのか、ということを最後の問いとして置いた。生存したくない場合は、②「神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの宇宙に於いても亦遂行されるのに必要な努力をしたいのか」ということを、この流れとしては①の代替手段?として示しているように読める。

 

だが、端的に家ば、人類が生存したい、の代替は、”したくない”ということになるはずだ。だが一見②はそのことを述べているようにも見えない。だが②が結局そういうことを示しているのであれば、これはどう読めばいいのだろうか。

 

(うーん、時間切れ、できればあしたに続きます)