今朝の体重68.2kg、体脂肪11.2%。
これは久々の68キロ超えである。昨日おとといとバケットを食べたが、やはり小麦粉というのは麻薬のようなもので、一度食べると食べたくなってしまうようだ。

代わりのものをバクバク食べるわけにもいかないので、昨日は牛乳を買って帰って空腹時はコーヒーを飲む、ということにした。
まあ、前からやってはいたが、やはり牛乳がないとコーヒーを絶えず飲むのは厳しいのだ。。
空腹でしかたがないと、ブラックでも問題はないのだが。。
「書く」とは、頭にあることを言葉にすることではなく、心の奥にあって、言葉にならなかったものを照らす営みなのである。さらにいえば「書く」とは、自らを驚かす行為、自らを目覚めさせる営みだといってよい。
P.40 若松英輔 ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う
前にも引用した気がするが(失念(´;ω;`))、改めて引用してみて大変良い言葉だと思う。
村上春樹さんは、ご自身の小説を自身の心の地下2階から湧き出てくるものを書くいている、とおっしゃる。
森博嗣さんは、とにかく1時間に10分、自身の頭にあることをどんどん書きていって纏まったものを(推敲を行ったのち)出版されるとのことであるが、逆に初稿より推敲が時間がかかって大変だ、とおっしゃる。
こういったことも、ここでは折りにふれご紹介?しているが、私の好きな作家方の方法を見ても、書くことが自らのなかから湧き出てきて、それはある意味自らを驚かす行為である、という感覚はたいへんしっくりするところだ。
そして書くことで、自らが目覚める、となると、まあ、纏め記事を書くようなことはちょっと遠い気がするが、自身を見つめて、いわば自身の内部から湧き出ることを意識して書いてゆく行為とはやはり書いたあとで”あれ、自分はこんなことを実は思っているのか”という感想と、”やはりそうだよなあ”という納得を得ることができるものだろう。
ちょっとその話とは違うかもしれないが、何となく底でつながっているなと思って書いたのがタイトルの言葉。
孫引きだが、ジュリアン・バジーニの言葉だというが、
理性を伴わない想像力はただの空想だが、想像力を伴わない理性は無味乾燥である。
この言葉にも納得だ。
想像力を伴わない理性によって書かれた文章などを読むときの苦痛を思い出した。端的に”この文章は読めない”と感じるときがある。もちろん興味の方向性が違いすぎていて、人によってはその文章はメチャささる、ということもあろう。
だが、明らかに想像力がないな、というときはただただキツイ。
ということで、ここで言われる“理性”というもの、これは結構深淵で、重要なことがらだろうという気がする。
(まあ、では”理性”とななにか、ということも考えるわけですが。。今は直観的に考えてしまっていますが・)