夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

10月31日 ヘルマン・ヘッセからユングに行ってグノーシス主義にはまる、という経路をたどった一私人の独白。

私が、グノーシス主義を初めて知ったのは、この欄では何度も何度も書いていて恐縮ながら、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」(1917)であった。

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小中学校で「世界の名作」の紹介に含まれていたがゆえに、反発してヘッセを読まなかったが、高田美苗先生の美麗な銅版画が配された、読売新聞でのこの本の紹介を読んで手に取ってみて、「これはっ!!!!」と唸ったわけである。

 

その後はヘッセにはまりまくって、文庫化されているものを読み漁ったのだが、読みつくしてしまうと、ヘッセ自身が影響を受けたという関係性からユングへと辿った。

デミアン」は、ヘッセがユング派分析家ラングと18ヶ月の精神分析セッションの終わり頃に書いたものだということだ。

 

まずは「ユング自伝2」を手にとった。

すると「死者への七つの語らい」が付録として巻末に付けられていたのだ。

 

 

付録には、訣別前後当時のフロイトからユングへの手紙などのほか、本書で初めて公表される「死者への七つの語らい」が収められる。これは1913年から1917年の間にユングの内面に形成される印象を伝えたもので、後年の彼の思想の研究に貴重な書となるものである。

引用はアマゾンの本書紹介から引いた。

 

この「付録」、ユングの生前は小冊子という形で私的に友人に配られたのみ、ということで、文中ではアレキサンドリアのパシリデス(グノーシス派の教師)が記した体とされている。あるいは実際にパシレイデスが書いたもの、としたかったのかもしれない。

 

そこがいわゆる「グノーシス主義」との出会いであった。

 

という意味では、それは「ユングにとってのグノーシス主義」である。古代文献をもとにしているかもしれないし、ユングはそもそも自身の作ではない体で書いている。また私的な冊子である点もミステリアスだし、当然自由に書いている。

 

こういうことを書いているのは、昨日も引用した大田俊寛氏の著書、「グノーシス主義の思想」を読んでいると、ユングやその他のロマン主義者が、牽強付会的に無理やり自らの思想を自らの思想に合うように捻じ曲げた、という批判がされていたからである。

 

そもそもユングの書いた「グノーシス的理解」からグノーシス主義を知った私には、非常に衝撃的な告発であった。

 

だが私はキチンと文献を読んでいるわけでもない。

 

ということで大田氏の著書を読んでいるところである。

 

(なんとまあ、古く14年前にも同じようなことをここに書いてました。代り映えしないなあ、、、という詠嘆とともに、お恥ずかしい過去日誌を張り付けときます。。)

 

 

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