”ユングは自分の一生を自己実現の物語として捉えている。しかし自己実現はよくそう思われているように、なにか未熟で未分化なものが成長や発展していって閑静したより高次のものになるのではない。自己実現とは、文字どおり自分自身になることであり、何か違ったものになるのではなくて、はじめからそうであるものになることなのである。その意味では逆説的に聞こえるかもしれないけれども、最初から自己実現しているのである。”
ユングは自分の中に、二つの人格を見た。現実に処し、生計を得るための”心細い”自分と、傲慢で過去に生きる第二人格である。
アニマ=根源的な女性性はいわば第二人格に対応するものであった。
後世から見ると、ユングやフロイトは心理学を形作った巨人のイメージである。しかし評価の定まった晩年はともかく、若い時分の彼等は天才というわけではなく、ただ自分の領分を淡々と耕し、掘り下げた、というだけだったことがわかる。
その淡々とした行為の中で、ユングとフロイトは出会い、いわば同士として共鳴し、そしてある蜜月期間のあと訣別する。
ユングは自分の中に2つの人格を見た。
たつきを得るための現実的な自分と、根本的なものに接している自分。
人は多かれ少なかれ、こうした面を持つのだろう。
現実に処するために自分を抑える。就職する。資格を得る。
そののち、徐々に第二の、”本当の”自分に面し、生活のなかで会話を自らの中で行い、”折り合い”をつけようとする。
その過程が自己実現、といわれるものなのかもしれない、とユングを読んで思った。
ユングはその過程の中で、あがき、自己を見つめている。マンダラで自己を解体、再構成し、客観視する。インドやアフリカへ行く。中国思想に接する。
赤の書、死者への7つの語らい、といった形は、ユングが本来発表するためではなく、どうしようもなく表現という形で吐き出したもののように感じる。
アニマ、アニムス、という考えも、自分の中の男性性、女性性との関係で導き出されたものであろう。
素人が数冊の本を読んで感じたことだ。
専門家からすると、間違った解釈なのかもしれない。
だが、自分の生活・意識という面と共鳴して感じる部分が確かにある。
もう少し、そういった面からユングを考えてみたいと思っている。
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今日から(いま5日です)アメリカ出張です。
今回はワシントンにも行きます。