夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

3月25日 フリーライダーを気にしなくなるにはどうすればいいのか。

 

<a href="https://art.blogmura.com/picture/ranking/in?p_cid=11072436" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/art/picture/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 美術ブログ 絵画へ" /></a><br /><a href="https://art.blogmura.com/picture/ranking/in?p_cid=11072436" target="_blank">にほんブログ村</a>

にほんブログ村に参加致しました。ぽちりと押していただけますとありがたいです。。

 

<a href="https://philosophy.blogmura.com/ranking/in?p_cid=11072436" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/philosophy/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 哲学・思想ブログへ" /></a><br /><a href="https://philosophy.blogmura.com/ranking/in?p_cid=11072436" target="_blank">にほんブログ村</a>

 

フリーライダーはけしからん。

 

普通そうなるだろう。ただ乗りするのはずるい。私もそうしたい。

 

そんな気持ちになるものだ。ではその気持ちをどう扱えばいいのだろうか。

f:id:mamezouya:20240325062132j:image
f:id:mamezouya:20240325062135j:image
f:id:mamezouya:20240325062122j:image
f:id:mamezouya:20240325062125j:image
f:id:mamezouya:20240325062129j:image
f:id:mamezouya:20240325062146j:image
f:id:mamezouya:20240325062142j:image
f:id:mamezouya:20240325062139j:image

 

とても難しい問題である。フリーライダーがおるで。叩いてフリーライドさせんようにしますよ。

 

こういわれれば「それはいかん」ということはなかなか難しい。

 

そういうことを「政治でやります」と言われれば、「まあ、それはそうせなあかんわなあ」ということに、普通はなるだろう。

 

人間お互い様。得意なことはひとそれぞれ。お互い苦手なことはあまり指摘せず、いじめないようにしよう。

 

そういう方向だろうが、そんな甘いことをゆうとったら、組織が、国がやっていけまへんで、ということになるだろう。

 

なので、相互監視して、「フリーライドしそうな雰囲気の奴」を叩きまくって、なるべくしないようにさせよう、ということに、まあなっているのだろう。

 

と思って生活してきたが、そういう社会はやはり息が詰まる面もある。いつ自身が後ろ指をさされるのみならず、糾弾される立場になるかもしれない、という恐怖があるからだろう。

 

結局「自分とその知り合いの範囲」だけよければいい、という発想だからだ。まあ、広く「日本国民」といってもいい。だが「世界」「人類」「地球」「今生」とくれば。あるいは「永遠」。

 

ちょっと広すぎて責任おえへんなあ、となる感じかもしれない。

 

だが、その方向に行った方が、息が詰まらない感じもある。だがそんな余裕、どこにあるんや。

 

今、このあたりに日本人はいる気がする。

 

池田晶子さんは、人に「属性」で規定されることを極端に嫌がられました。世代論、性別、年齢、国籍。そんなものより”魂”を見ろ。そうおっしゃっていた気がします。。。)