夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

勉強不足でしたっ→ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウド復習。

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さて2年連続で出品していた版画協会展、今年も持参応募したが、残念ながら選外となった。

どこかで慢心があったのかもしれない。次回機会があったらもっと精進したいと思っている。

一方で、機会があればそれに合わせて作品を制作できる。今回は自分史上で一番大きな作品を制作できた。今までは小さな世界に詰めこむスタイルであったが、一つの挑戦ができたのはよき経験であった。

工房の仲間からは「惜しくも選外になったら別に予定している企画展に出せばいいから」と事前に言ってもらっていたのもありがたかった。この作品、自分では結構気に入っているので、来年3月にはなるがお披露目できる予定である。


昨日は飲み会、パイントで3杯のビールと、黒ホッピーを2杯飲んだ。結構残っているのは、水をあまり飲めなかったのと、酔い薬を飲まなかった所為だろうか。パイント1杯で多分20gのアルコール量なので、計5杯で100g、一週間で推奨される限界量である。今週は節酒せねばならない。

そしてアルコールを飲むと、食欲が増進するということを実感、終わってから松屋で大盛りカレー720円を食べ、帰りに寄ったセブンでは袋入りドーナッツ推定8個入りを帰宅後一気に平らげてしまった。文字通り個装の小さめのドーナツを引き裂いては口に放り込み続けた。咀嚼、開封。咀嚼、開封。所要時間は多分5分もなかっただろう。たしかにあの時間は”愉悦の喰い”であった。

まあ、チートデイということ、帰って受け取った落選通知にちょっと心が折れたのかもしれない→ストレス喰い。

しかし、小麦粉で安易な悦楽を得る習慣は戒めていかねばならない。結果として朝の体重は66.4kg。先週は62.2キロまで下がった気がするので、4.2キロのアップである。

今日はスポーツジムの日、少し気合を入れていこうと思っている(先週は版画最終追い込みでジムに行けなかったので)。

 


さて、一昨日みたタランティーノのワンスアポンアタイムインハリウッド。WIKIPEDIAで復習すると、本作が実際に起きたチャールズ・マンソンによるロマン・ポランスキー監督の新妻、シャロン・テート殺害事件を下敷きにしていることを知った。私はマリリン・マンソンは知っているが、彼の芸名はマリリン・モンローチャールズ・マンソンから来ている、ということも今回知った。


思うにこの事件はアメリカでは有名で、普通のアメリカ人であればゴシップ欄で普通頻繁に目にしていた事件であろう、ということだ。日本でいけば毒入りカレー事件のような。1969年の事件なので、ある程度の年齢層以上だろうが、その後長く裁判が続いたようだからだ。

チャールズ・マンソン事件のことは、私は聞いたことがなかった。なのでこの作品が実際のハリウッドスター(のそっくりさん)を登場させているところから、この事件も実際の史実をベースにしていた、ということなのだ、ということを理解した。

しかし、史実通りではないのだ。例えばカトー役でブレイクしたリーは、アリと戦えば勝てると大言壮語するようないやな香港人として描かれており、この点が問題になって中国での公開はなかったという。たしかにあのシーンは、副主人公であるピットの潜在能力をアピールするためのものであるが、リーが実際は嫌な奴だった、ということを描こうとしている、という印象も個人的には受けた。

この映画はエンターテイメントで、もちろん史実とは違っている。いわば異次元世界の類似案件だ。そう思ってみていたので、実際のリーを侮辱している、というイメージには個人的にはならなかった。だがそう思う人が多いのは理解できる。

ピットもこのシナリオに対し、「あのリーだぜ」という反応をしたという。まあ、リーがぼろ負けではなかったが、怪鳥音の使い方含め、悪意は感じる部分ではあった。

ピットの役は、トムクルーズも候補に挙がっていたという。180cmのピットとリー役の俳優(たぶん173cmくらい?)は体格差を感じたが、トムクルーズであれば多分同じくらいの体格なので、また違った感じになっただろう。プロレスでもそうだが、対決にはまずは体格差による見た目の第一印象が個人的には重要だと思っている。

そして史実と違っており、いわば(史実を知っている)アメリカの観客にカタルシスを与えたのは、実際は殺されたシャロン・テートが、ピットとデカプリオの結果的な活躍により、殺されずに生き残った部分かもしれない。身重の状態で無残に殺害されたテートのイメージは、史実を知る観客にはあったはずで、で、生き残ってくれればそれはそれでフィクションとして安堵につながる。この映画の一つの売りは、こうして改めて歴史的な悪者を2人がズタボロに殺したところなのかもしれない。

(とにかくタランティーノの殺しはめちゃくちゃですね。漫画テイストでもある。)