夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

厚着。

しょうもないことでもいい。すこしずつ変化を行おう、というか行ってゆく心を持とう。

そうすると「なにか良い方向に変化できないか」という気持ちをもつことができる。

じつはこの気持ちこそが、生きてゆくときに結構重要なのだろう。

 

ということで、今日は厚着にトライしている。

そもそも冬は寒いものだ。寒さを我慢するのが漢である、というような無駄な精神論はたしかにこの心のどこかにある。この、

「漢である」

という気持ちは既に2つの点で問題だが。

 

ひとつは「エゴ」=「他人との比較」。(二つ目はもちろん「ジェンダーフリー」ですね)。

だれだかわからないが自分自身以外の人を特定し、その人より勝ろう、そしてそれを誇示しよう、という気持ちがある。

これが「一見頑張っているという意味でいいようだが、結局人との比較に陥っている。その人がだれだかわからないように設定されているのが更に危険、無限比較に陥る」という「エゴ」だ。

ここでいう「エゴ」は、生き延びるための心構えを自動生成するDNAの働き、といってもいいだろう。他よりも秀でよう、という「種保存」の「DNA理論」だ。

そこに気づかねばならない。

寒さをブロックできないなら、精神論もいい。つまりは「我慢」だ。

しかし「人よりも秀でるように我慢しよう」はいけない。

「自らで、自らありたいように、人知れず我慢」、これである。

 

人と自然に比較するエゴ(=隠れたDNA要求)に気が付くことで、心がより自由になる。つまり「すきなようにしていい」が得られる。至上要求であるように思える「生き延びる」からも、場合によっては離脱できるだろう。

ここをめざすのだ。

そしてそこをスタートに、なにか変化を求めるこころで行く、だ。

実際に変化がなくてもいい。変化しよう、と鵜の目鷹の目になる、ということだ。

これが「生きる張り合い」につながるのだ。

 

と、大風呂敷を広げての今日の実行は「厚着」。

 

なんとなく肌着は1枚と思っていたが、そうなんか???

思い込みでは?????

 

ということで2枚着てみた。

 

めちゃめちゃあったかい。というより暑い。

冬なのに。

 

もともと肌着に憧れがある。最近もどこかの新聞かフリーペーパーかで見たのだが、エベレストかどこかの山頂で、白い肌着を着た人々がにこにこしている宣伝をみた。

私は実は「白」が苦手で、「白は清潔」「白く保て」という押し付けに繋がると思って忌諱してきたのだが、本来の白色に罪はないことに気づいた。

だがまあ、異様である。白いのだがあきらかに下着だ。男性であればトイレで使用するあの穴が開いていて、それが宣伝画面の真ん中からちょいしたに「ドーン」と載っている。

ああ、無理やり宣伝のために下着にさせられて、更に無理やり「満面の笑み」を強要されているなあ。

まあ、それが感想のすべてなのだが、とにかく雪山の山頂で一瞬でも笑える暖かさがあるのかもしれない、という幻想も同時に頂戴できるのだ。

秀逸な宣伝、といえるだろう。

 

撮影のあと、画面の面々がくちぐちに文句を言いながら、マッハの速さで服を着るすがたも浮かんでくる。このあたりのスラップスティックさもまた、愉しいのだ。

まあ、いずれにせよ、それらの幻想が連想された時点で、宣伝製作者の手の上に乗っている。あの宣伝が、忘れられないのだ。

 

だが問題はあの価格。いつか金持ちになったら買うぞ、と思いつつここまできた。

買ってない。

そしてそのままの幻想を手に、ユニクロの極暖シリーズを購入するわけだ。

 

買ってしまえば、あの衣料はグローバル展開しているので、タグをみても「極暖」か「超極暖」かがわからない(個人の感想です)。

そもそも「EXTRA WARM」 と「ULTRA WARM」、どちらが暖かいのかが、私の英語能力ではぴんとこない。

 

勿論ウルトラマンは強い。そもそも人類ではない。そう考えると EXTRA は超人(つまりは人、あるいは人をベースに人を超えた人」で、ULTRAはまあ異星人である、と言えるだろう。

そうか、ULTRAが「超極暖」か、と今朝やっと想定できたのだ。

なんとなく「EXTRA WARM」が超極暖だと思っていたが、間違っていた。

 

通勤時に着る下着、「EXTRA WARM」で行ったら、寒かった。困ったなあ、寒いぞ、超極暖で、と思っていたが、なんだ、ウルトラマンがいたのか。

ということで、「ULTRA WARM」を昨日着た。暖かかった。

そして今日、なかなか最近寒いぞ、ということで、この「ULTRA WARM」の上に「EXTRA WARM」を着てみたのだ。

超人とウルトラマンの競演だ。

 

バットマン対スーパーマンという映画がある。古くは「デビルマンマジンガーZ」という東映まんがまつりの映画も想起させる、たのしい映画である。「仮面ライダーウルトラマン」もあったかな。

デビルマンマジンガーZであれば、同じ永井作品なので違和感はそれほどないのだが、仮面ライダーウルトラマンは石森(当時)章太郎と円谷プロ、である。違う会社なので、着地点が難しそうだ、とおもうところだ。いわば新日と全日のバトルのように。

まあ、それはおいておいて、基本生身にガジェットで強化されているバットマン、本来の強さである異星人のスーパーマンに勝てるわけがない。だから「一矢報いる」「間隙をぬって頭脳を働かせる」という要素で、「いい戦い」に持ち込んで結果敗れる、あるいはノーサイド、というところしか見えないし、リアリティがない。

サンダーライガーが、後輩の武藤敬司に、体格でどうしても劣るがゆえに、闘神モードでも大善戦で終わってしまうように。

まあ、例が古くて申しわけがないが、つまりは両方を着ればライガーとムタの共闘となる。マジンガーデビルマンの競演となる。仮面ライダーウルトラマンの競演になるのだ!

ということで、いま2枚着ている。

 

めちゃめちゃ暖かくて、会社の暖房も今は付けていないくらいだ。

(小さな改善は、たのしいですね!!強いものどおしの戦いはロマンがいっぱいですね。虎とライオン、カブトとクワガタ、ブロディとホーガン(古い!)あたりは考えるだけで夢が広がります(笑))