夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

社会圧と制服。

今日の体重は、65.3kg。体脂肪率10.2%。朝食後。

社会の圧により、いやいややることがある。これを可視化して自由になろう、という方向に世界は行っている。

これはわるいことではないだろう。

嫌だけれど、強制的に従わされることがある。

思い出すのは小学校4年生で転校したときのこと。同じ神戸市内ではあったのだが、転校した学校には「スモック」と称する制服のようなものがあった。

私は子供のころから拘りがあった。まずは頭髪。よくわからないが切るのがいやでいやで仕方がない。思い起こせば、切ったあとの変な髪形が嫌だったのだろうと思う。

服には特段好みはなかったが、この「スモック」を見て、それを着ている同級生をみたとき、なんてかっこわるいのか、と思った。

かっこいいならいいのだが、黄土色というかなんとももわっとした色合いで、制服なので最大公約数的な感じで身体に合っていない。多分これが嫌だったのだろう。

そう思うのは、会社の制服(というか作業着)も嫌であるからだ。とにかく色がぴんとこない。来ている皆さんの姿も失礼ながら醜悪だ。なんでこんなに嫌なのか、不思議でしょうがない。

制服を着ている、ということは、管理者は「制服を着ているということは、組織に従順に取り込まれている」と安心するだろう、というのはあるだろう。そういう中に取り込まれたくない、という感覚だろうか。

だがアメリカのジーンズや、しましまの囚人服(いまはちがうのかな?)を見ると、あれは作業着だというがまったく嫌だとは思わない。外国でその組織が身近ではなく、囚人の服だ、という刷り込みもないからだろうか、とも思うのだが、いまいちピンとこない。

やはり、「センス」の問題だろう、と思っている。ダサい、ということだ。そして「ダサさ」を我慢する、ということが、服従している、という感覚を呼ぶのかもしれない。

試しにいまの会社の制服を、自身の体に合うようにオーダーしてみた。今はなくなったが、少し前は多分特大、特小の皆さんに合うように、オーダーシステムがあったのだ。私はいわゆる中肉中背であるが、腰骨がとにかく横に張り出しており、ウエストは少なめだ。今だと70-72センチだろう。これにあった既製服はそもそもない(なのでスーツは安いセミオーダーにしている。ウエストとヒップがあうだけで、毎日スーツをきるのがとてもハッピーだ)。

とにかくヒップが100近くあるので、それに合わせたパンツというかズボンというか、それを着ると、既製服ではウエストは多分最低でも80位ではないだろうか。それをぎゅうぎゅうにベルトで締めるのである。当然ズボンもベルトもとても変な風になっている。ほんとに嫌だった。

そしてオーダーしてみた制服は、着ることへの心理的抵抗感が薄かった、というより着たかったのだ。

つまりは体に合っていないものを着ていると、無理やり、嫌々着ているように見えるのではないだろうか。

本当は、ウエストジャストサイズで注文すると、これは細すぎる、間違いではないか、と言われ(間違いでないことに確信はあったが)、まあそういわれるのなら、と少し広げて注文した。結果的にウエストはぶかぶかになりすこし満足度が落ちたのであるが。。。

身体にキチンとあっていないものをいやいや着ることが嫌だ。たぶんこれがいまの結論であろう。

本当は服装の社会的圧のことをもっと書きたかったのだが、とりあえずは今日はこの辺で。。

(白ワイシャツ強制、時計のデザイン強制など、いろいろありましたが最近は無くなってきましたね。。とってもいいことだと思っています。因みに小学校時代の「制服」は、先生に「これは強制ですか」と聞いたら、「強制ではない」という答えだったので、ほとんど一人私服で過ごしました。あの時の先生の答えには今でも感謝していますね)