夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

10月1日 日々善哉。失くしたと思った筆箱があった件、ノート作り(近藤康太郎氏の「百冊で耕す」の猿真似)、「三体」のことなど。

昨日夜、15339歩歩行後の体重63.7kg、体脂肪9.7%。今朝の体重63.8kg、11.2%。

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なんとなくだが、体の組成は少し内臓脂肪が減って来た印象。ありがたい。だが減量ということではなく、体組成を良くしてゆく、という発想で進めたい。

気持ちタンパク質多めで。今までは牛乳をセーブしていたが(主に財政面。従で持ち運びの重さ)、すこし買って行こう。

腹筋は、腹筋直で鍛えるより、例えばカールでも鍛えられる。できるだけ重量を重くしてゆくことで、筋肥大を考える。

 

昨日は版画工房終了後、歩いて帰宅。ゆっくりめで1時間弱かかる。最近は雨がふったり、暑すぎるので無理せず電車で帰っていたが、涼しくなってきたので歩きやすい。

今までは会社から直で行くこともあったが、昼は基本プロテインだけなので、8時に終了して9時に帰宅する途中でエネルギー切れとなることがあった。途中でふらふらするのだ。

で、昨日は途中で部屋に寄って、納豆、きな粉、玉子、アーモンド、味噌汁を摂ってから工房へ行った。

結果作業時間は50分しか取れなかったが、集中できたし、帰りの歩きも息切れはなくあるき通せた。やはり人間のからだは車や携帯と同じくエネルギーで動くものなのだということを実感する。

 

あとそういう意味ではやはり夜眠っての精神的エネルギーのチャージは重要だ。

特に創作するのであれば、私の場合朝しか無理。夜は作業系だ。

最近はアマプラの”三体”にはまっており、12時に寝て7時に起きる感じになっている。

 

いままでは6時間睡眠が理想であったが、普通に7時間眠れるのであればそれはそれでと思っている。多分昨日は歩きで疲れたのだ。

 

あと、留守宅に戻ったとき、失くしたかと呆然としていた筆箱(古いかなこに言い方(笑))を発見。高校卒業時に学校からもらったハンコも入っていて、大変ほっとした。

出張中、横に座っていた人の財布が鞄からころげおちるのを見て教えてあげたのが良かったかな(因果応報というと悪いこと系に聞こえますが(笑)(笑))。

そして同じく留守宅からシステムバインダー用紙の6穴開け器と、将来文豪になろうと(苦笑)昔無理して買ったモンブランマイシュターシュテックも持ち帰る。

この前銀座伊東屋でオリジナルノートと革カバーを清水って(合計4000円位ですが(笑))購入したが、ここに抜き出しの抜き出しを書いていこうという試みの為。

これはこの前よんだ近藤康太郎さんの「百冊で耕す」で書いてあったことのほぼ猿真似。まあ、インクもないので買わなきゃですが。

 

最近100均でシステムバインダーリフィルが無いので、自作(A4のコピー用紙を切って作成)することにしたが、早速今朝穴をあけてすっきりした。

 

 

 

 

(上の画像中、ロメオは実際購入のものではありません。アマゾンで取り扱いがなかったので、同じ伊東屋のオリジナルカバーを参考添付。実際はオレンジでもっと安いやつです。)

 

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そう、”三体”のことだった。

 

中国作家で、ヒューゴー賞ネビュラ賞かは忘れたが、受賞したSF大作であることはおぼろげに知っていた。

だが今私はあまり小説は読めない。

なんというか読みだすパワーが不足しているのだ。

 

で、エッセイ系が好きである。1区切りが短いのがいいのだろう。

もともと私は”SF研究会”というものに所属していた。まあ、SFは読むのだが、どちらかというと理系的ゴリゴリSFは苦手で、ソフトな文系的異世界ハイファンタジー系が好きであった。

で、”ネビュラ賞”とか”ヒューゴー賞”と言われると尻込みする。たぶん読み切れない。

 

だが中国系SFで初?というような評価がおぼろげにあった気がして、アマプラで連続ドラマが無料であったので、まあ、とりあえず1話見てみるか、と思って見始めたのだ。

 

なので、ほぼ事前情報なしの真っ白な状態。

 

結果、すっかりはまってしまい、一話40分程度?で現在25話まで来た。

 

中国系の映画はまあ以下のようなものが思い出されるが、私は金があると映画に行かず漫画や本を買う派(あとに残るのが好き)なので、ほとんど見たことがない。

 

正確ではないが、”三体”は2006年ごろ、北京オリンピック(2008年)の準備が行われていたころが舞台のようだ。

じつはそのころ、中国によく出張していた。中国向けの営業だったのだ(中国語しゃべれませんが)。

なんだか道路を作るので、とひと区画がむりやりたちのかされた、というような話を、車のなかからそういう雰囲気のエリアを見ながら聞いたような記憶がじわりと上がってくる。

なんというか、そういう時代の雰囲気を個人的に思い出しながら見ていると、これはだいぶのめり込む要素になる。

 

この作品がどのような位置付けで作られているのかも、気になるところだ、いわゆる”下放”といものが行われていた時期のことが物語の発端であるからだ。そのことを描くと、フィクションであることと相まって、当時の社会の批判、みたく取られるのではないのかな、というようなことも、中国映画を見ていて思うところだ。

”ああ、この表現はセーフなのか”と。

 

最近新聞である映画監督が、アジア地区での実写への熱狂に比べて、日本での実写への興味が薄いと感じる、という意見を聞いて、そうなのか、と思ったことなども思い出す。

個人的な感触だが、日本では映画は動画で、あるいは自己の内面を語るには絵で、個人的に、と思う層が今は厚いのではないだろうか。だが私は昔は漫画家志望、多く漫画を読んできた身だが、正直漫画の映像化をするために映画を撮ろう、という気にはなれない。やはりやるならオリジナルだろう。

 

原作付き作品は”お仕事感”が漂う。ある程度のヒットが予想できるからだ。

アニメーターは個人的感想だがとにかく絵を描いていると幸せ、という人が多いだろう。原作付きで、映画で大胆に自己の主張を出すケース(押井守スカイ・クロラ」などを思い出す)もあろうが、ちょっとそれは全てのアニメ監督ではなく一部の人だと思うのだ。

 

高校時代に映画を撮っている友人もいた。だが私はより個人的に、漫画が絵本化、と思っていた。人と協働して作り上げるのは素晴らしいだろうが、自分にはしんどそう、そして機材がそもそも買えない、であった。漫画は丸ペン1本(そう、Gペン派ではなかった)で行けるのだ。

 

クリエイターの基本気質傾向、ということも、アジアと日本で違っている気がする。

 

(三体、終盤にさしかかってきましたが、楽しみです。あとモンブランインクだけでもアマゾンで3300円!なかなか高いー。貯金せねばー(苦笑))