夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

宇宙とはなにか。

宇宙のことを考えるのが好きである。と言うと、たいていは、「ほお、宇宙。夢があってよろしいですな。科学はどこまでわかったのですか」といった種類の反応が返ってくる。多くの人は、宇宙というと、月やら星やらの天体宇宙のことをいうと、思うらしい。 確かにそれでも間違いではないのだが、私の「宇宙」は、少々違う。その月やら星やらの天体宇宙に自分が存在していて、その存在している自分が考えている宇宙についての考え、これを「宇宙」と呼んでいるのである。この違い、わかるかしら。

 

池田晶子 知ることより考えること 2006 新潮社 P.8  「私のコスモロジー」より

 

わかるかしら、と池田さんに問いかけられたのだが、この本を読んだ当時は、「わかりません汗 OR 涙」であった。

 

池田さんが、直截にさまざまな問いかけを世間にされていたころ、その反応に「やっぱり」と思われつつも、「残念。」という思いもまた、持たれていたと思う。日々の生活で、苦労して、うまくいかないと、世間や他人のことなど「わかりたくもない」というすさんだ気持ちになるものだ。

 

ほとほと、思う。自身に心の余裕がないと、自分のことで精いっぱい。自分以外のことは、考えることが難しいものだ。

 

そういう余裕のなさを、どうしても自分以外の所為にする。これはたぶんエゴの動きだろう。エゴはとにかく、私を、あなたを、突き動かす、生存させればいい。すさんだ気持ちでも、ハッピーな気持ちでも、そこはお好きに、だ。というか本当に関係がない。

 

エゴとは、別称種族としての生物種を、個体から保存する本能あるいDNAのことかもしれないな、と思う。自身がすさんでいても、すさんだ気持ちは負の生きる原動力(ルサンチマン的な)になることを知っている。

 

なので、客観的に負のエゴで突き動かされる人間の姿は、あまり上品とは言えない。下品、であるだろう。池田さんもおっしゃった、差別はいけないが、人間の本性で、すなわち「上品」「下品」で、おおいに「区別」しましょう、と。そして生きることに真摯に向き合う姿こそが「上品」なのだ。

 

私は「下品」側で生まれた。生きること、自分という個体が生きること、ばかりをついつい考えてしまう。そしてそれは、ある程度は仕方がないのだろう。

 

たぶん、それは仕方ないのだが、できればもうすこし「上品」側に行きたいものだ、とも思っている。チャップリンが、「愛と勇気とサムマネー」と言い、箴言では「衣食足りて礼節を知る」という。

 

そう、サムマネーや衣食がないと、人は人のことを考え思いやる、「動物」ではない「人間」にはなかなかなれないのだろう。

 

そういう意味では、ルサンチマンではなく、衣食やサムマネーなしで人のことを思いやることが出来る人は、うらやましくもねたましいくらいだ。そういう人が、聖人、であるのだろう。

 

シッタールダは、王子という身分を観じて仏陀となったと理解する。生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と言ったとされるが、つまりは幼少より、生まれるのも死ぬのも、あるいは死んだあとも一人である(この一人は、どう解釈するかもまた重要かもしれないが)という直感を持っていた、ということかもしれない。

 

いや、池田さんの宇宙から、だいぶ話がそれた。

 

つまりは、「科学」とは本来自分には関係がないこと、生きて食べて、サムマネーを得たい、と思うプリミティブな我々にとっては、方便である「お勉強」、やりたくもないつまらない「お勉強」の一部であるのだ。

 

宇宙や自然や神羅万象を、この「科学」の「お勉強眼鏡」を通してみると、あらふしぎ、たちまち「自身に本質的には関係がない」「暇になれば考えてもいい趣味の項目」と化してしまう。

 

本当は我々は、この自然、宇宙、神羅万象の一部であり、全体でもあるのに、だ。

池田さんの「宇宙」はこの思い込みを気付かせてくれるものだ。人は鳩が豆鉄砲を食らった気持ちになるだろう(事実、池田さんはご自身の発言を受けた人がよく豆鉄砲を受けた鳩になることをおっしゃっていた。だが豆鉄砲である。実弾ではない。被弾しても、死なないのだ。そして気づく)。

 

一回回って、かえってこなければならない。サムマネーと衣食のことが、心配になることは必要だ。必要ない、となってもいいが、まあ、必要、ということでスタートしたほうが無難だろう、という意味での必要ではあるのだが。

 

ここ、必要ない、という「危険な」思想に、あるいは池田さんは誘うところがあるのかもしれない。その思想に「撃たれて」、生きている、ただ、生きていればいい、という境地となった読者のことを、頼もしく、喜ばれる池田んもいた。そうなった人は、勁いひとと、なるだろう。ただ毎日、コンビニで老婆から、あなたハンサムね、と言ってもらうのが幸せで静かな日々だ、とつぶやく若者も、居た気がする。

 

なにがいいたいのか、まとまらなくなってきた。

 

まあ、要するにいつものひとこと、「池田さんは素晴らしい」ということに、

収斂するだけ、ということだろうか。

 

(池田さんの本は、真実の金太郎飴、ですねー)

 

知ることより考えること