夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

記憶の容量。

心の容量は、無限であるように思うのだがそうではない。

多分、脳の使用容量の関係であろう。脳が生体器官である以上、劣化するし、強化できる可能性もある。

嫌なことが起きたとき、今でも思い出すことがある。

大学時代、スクーターでプロレスを見に行った(プロレスファンです)

見終わって戻ってくると、ヘルメットが盗まれていた。今は違うかもしれないが、その時は首筋の紐部分をスクーターの座席の横に止める(つまりは紐部分の切断で盗むことができる)仕組みであったのだ。

いつか盗られそうな気がしていた。だがここでか!!

非常にがっかりした。

その時は目当ての外人レスラーの急な来日中止もあり、ダブルがっかりであったのだ。

だが、そこで考えたのは。

 

うーん、これは激しいがっかりだ。だがこの「嫌なこと」が契機になって、よりわくわくすることを行えば、このがっかりは「よききっかけ」に変化するぞ!!いわゆる「災い転じて福となる」だ。いや、意思のある「災いを転じさせて福となす」で行こう!!

 

ということであった。

だいぶ前のことだが、今でもあの瞬間を思い出す。

 

どう福としたのか。まあ、単なる物欲魔人であるといえばその通りだが、

①スクーターをやめて中型バイクを買った。

②メットはいつも携行。携行してかっこいいようなメットを買う。

ということであった。

 

いやなことがあったときには、その記憶に無理やりいい記憶を上書きする。

 

そういうテクニックが自然と湧いてきたのである。

 

他の方はわからないが、わが脳みそは比較的単純で、一つのことで一杯になる。あとは忘れる。この忘れ、あるいは上書き、という機能は、意識して使った方が、いいだろう。いわゆるストレス対策、ストレス耐性の話だ。

私たちの意識の特徴としてこちらもすばらしいことに、何か一つだけのことしか覚えていられないという性質があります。つまり何でも良いので、その不快なことや怒りの対象について一旦意識の外に出してしまって、他のことで頭をいっぱいにするとあっという間にその深さというのは時間とともに薄れて行ってしまうのです。
勝間和代

勝間さんも、こうおっしゃっている。

(その後中型バイクに乗るたびに、ああ、あそこでメット盗まれたおかげやなあ、と思ったものです)