夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

佐倉市立美術館 没後35年清原啓子展へいった。

今日の体重は65Kg、体脂肪は11.2%とあまり良くなかった。

昨日は佐倉市立美術館という所へ行ったことは昨日の日記にも書いた気がするが、なんというかやはり美術館へゆくと言っても様々な美術館があるわけで、わがアパートから2時間弱列車に乗ったのだが、好きな展示があり美術館に行く、と言うものは結構面白いな、とじわりと感じる機会になった。

もちろん関東はほとんどうろついていないので、佐倉市という市のことは申し訳ないが初耳であった。電車に乗るが、どの方向に向かっているのか、という興味は、地理に全く興味がない我が魂が考える訳もない。なんだか東京ではないな。その程度の感触だ。

ついてみると、申し訳ないが少し寂れた駅前であった。店などはあまりないようだ。少し坂道になった駅から真っ直ぐの道を数分登ると、美術館のエントランスだ。時代を感じる瀟洒な感じもあるもので、エントランス部の背後にエントランスに覆い被さる感じでビルがある。後で説明を聞くと、これは古い建物をエントランスとして残し、背後に実際の美術館の建物を建てて繋いである、という。そう言われてみると、その通りであった。面白い趣向である。

入ってゆくと美術館ボランティアの方が、作品を見て感じたことを語ろう、というツアーをやるというので、参加してみた。私は清原啓子さんと同じエッチングをやるので、なんというか彼女の画面への集中度合いは、わがスカスカの画面と比べて如実に実感できるところである。したいわけではないのであるが。

よき展示であった。清原さんは31歳の時、1987年に急逝されている。生涯で完成作は30作程度という。銅版画は人にもよるが、彫り進めて途中で刷って見て、不足を見つけて描き加えて何版も刷ってゆく、という形が多い。その途中の刷りも見えて面白い。印象的だったのは、素描というか、原画の精密さ。素描でほぼ完成させてそれを銅版画に写してゆく。もちろん深みはどんどん深化するわけだが、素描を完成させて作るスタイルであるのだ。これは描きながら完成させるスタイルの方もおり、これはもう本人の好みであるのだが、私も比較的そのタイプなのでそこには親近感がある。

急逝された時、清原さんはさまざまなところで展示をされていた。残された下絵や試し刷りを見ても、まだまだ先行きに展開してゆきたい、という気持ちが伝わってくる。それは周りの方々も同じ思いであったろう。特に清原の才能を多摩美術大学で見出した深澤幸雄は、清原さんの残した版を使って後刷りの作品を作り、自ら監修し各地の美術館に収容するよう働きかけたという。そのおかげで後世の我々は比較的多くの美術館で清原さんの作品に接することができるのだ。

深澤は清原の生前も、その刷りを娘を紹介して任せるようにしていたという。全てがそうであるのかは不明だが、版画とはそうした分業も当たり前にある世界であり、生前から父の弟子である清原さんの作品を刷っていた方による刷りであるなら、後刷りであろうとそれはほぼ生前の作品と同じものであると言える。ないのは作者に許されたエディションの付番とサイン、タイトルなどである。

才能ある弟子が残した作品を後世になんとか伝えたい。清原さんの作品に接する時、我々はその裏に温かい師の思いもまた、感じることができるのである。

(才能ある師は、才能ある弟子を見出し、親切に助けてくれる。素晴らしい話ですね。。)

 

 

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