夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

画を商う、ということ。-洲之内徹ー

 

芸術なんてものは私には必要がない。そんなものは、それを飯のタネにしている批評家あたりに任せておけばいい。私には、溺れる対象だけが必要なのだ。人生とは所詮、なにかに気を紛らわせて生きているだけのことだという気が私にはする。
洲之内徹 さらば気まぐれ美術館 1987年 新潮社

美術が学ぶべきものではない、と感じるのは、国語が学ぶべきものではない、というのと同じ次元で私が感じることだ。

だが、そういう思いは「学び」という行為の持つ「強制」という性質(それは学びの本質であるように、「学校」では思いがちであるが、実はそうではないのではないか、とだいぶ年を取ってから思い始めるものでもある)の所為であろう。

本来「学び」とはもっと自発的であり、また楽しいものだったのではないだろうか。

勿論、「受験勉強」により、この怠惰そのものの私が、結果としてすこしは知識を得られたし、自発的学習であれば決して学ばなかったであろう「算数」およびその進化系「数学」を少しでも理解するきっかけにはなった。

だが、学び=強制 と認識することにより、より深く、心のままに、楽しく「学ぶ」という世界が、遠くなってしまっていた気がする。

心のままに、楽しく=教養 となるだろうか。

教養なんかは役に立たない、というメッセージを感じる。教養とはたぶん、強制とは馴染まないところの学びだ。美術やそして私にとっては「国語」もまた、この「教養」のカテゴリーに入っている。

洲之内が冒頭で述べるところの「芸術」は、どうだろう、画商であった洲之内にとっては私にとっての「学ぶ」同様、複層的な意味を持つものなのだと、思う。

画を売ることで生計を立てているが、その商いの中で手に入った画で気に入ったものは、洲之内は売らないのだ。

これはもう、とてもうらやましい。

画商をすることでしか、手にする(文字通り額縁を手にする)ことのない画、というものがこの世には存在する。

多くは、高価なものだ。だがその「高価」は、すくなくともある一定の人々をうならせたうえで付いたものである。その審美眼や個人的趣味に乗っかって、利ざやを稼ごう、という行為が、画を商うこと、である。

洲之内が画商をしながら、本来はやってはいけないことである「画に溺れる」という行為を行ったのは、卑近なたとえでいけば「商品に手をつける」女衒、と似た行為となろうか。まあ、女衒はそもそも商品に手をつけるものなのかもしれないが。

禁忌であるが故に惹かれる、ということがある。もちろん画商が画を売らないことは禁忌でもなんでもない。だが、「それではもうからない」という気がするし、画を商品と割り切った画商にとっては、ある意味悔しい思いを秘めつつ「素人さ」と言いたくなる行為でもあろう。

洲之内が生涯売らなかった絵は、たしか宮城県美術館で「洲之内コレクション」として一室をなしていたように思う。思うというのは、私自身は見たことがないからだ。1988年からの展示である。残念ながら見たことはない。

だが、「売らなかった画商」、画商故に珠玉の作品たちがその前を流れていったのだろう、という感じは、気に入った自作の絵を売ることをとことん拒んだ高島野十郎の気持ちとも、根底でつながっているような気もするのだ。

(一度は見に、行きたいものです。。。)

さらば気まぐれ美術館