夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか。シンギュラリティとAIが個別の意識を持つかどうかを考えようとおもったが、たどりつきませんでした。。。(泣)

表題を適当に描いてみたが、アンドロイド、というのがポイントだ。アンドロイドとは、基本、脳は人間なのだ。それ以外は機械、あるいは(最近症例があったような)近隣哺乳類の代替内臓で作られた「オーダーされた身体」。これが将来の人間像だろう。

脳だけではどれくらい「生きる」のだろうか。そういう形態にかじを切れば、はじめは長くないのだろうが、じきに長く生きだすだろう、

生れたままの身体で100年+次第にアンドロイド化してゆき、最後に残った脳で300年位??なんとなく数百年は一人の「人間」が存在するようになるだろう。

多分、生殖も個人から「奪われる」。全体で管理するものとなろう。そこではもう、「親」という感覚は「前時代のかつてあった文化」程度になるかもしれない。

プラトンは、全ての子供を国家が育てるのが理想、と言ったのだと、これは池田さんの著作からのうろ覚え。だが、理想からそうするのではなく、実態からそういう時代になるだろう。1000年位、先だろうか。

人類がどれくらい存続できるのか。そもそも「人類」と言っているが、チンパンジーと種としては同じだともいう。いまのチンパンジーのように、現在の人類が「先代の人類」に、なるのだろう。

なんとなく暗鬱な未来のような気もする。だがこうしてPCに向かってWEB会議などをやっていると、テクノロジーに裏打ちされた技術であるということを知っていると特に何も感じないのだが、昔の人がこの姿を見れば100%魔法だと思うだろう。そもそも昔は「化学」という言葉の意味はほぼイコールで現代語でいう魔法の意味であったのだ。

科学技術は人間の心を変えた。いわゆる精神的なことを考える人間は蒙昧な人間である、という認識が心の底から染みついている。

だがシュタイナーは言った。そのことは宗教(宗派によって殺し合うといった面)の悪い呪縛からの解放という意味では寿ぐべきことだ。だがいわゆる死や精神の問題は「わからないこと」として目の前に横たわったままだ。それを追求する手段は、個人的なものであれば好きにすればよい。いわゆる「科学的」なものではなくとも、まずは平等に試してもいい。別にそれを他人に開陳する必要はないのだ。

シャーロック・ホームズの作者、コナン・ドイルは心霊研究に晩年凝った、として、その評伝では「彼には残念な面がある」とでもいわんばかりの記述がみられる。それもまあ、今の時代であればあたりまえだ。ムーがトンデモ雑誌の筆頭であるわけだから(真面目に作られてはいるが)。だが当時のルイス・キャロルしかり、写真技術が初めて現れたときは、それはまるで魔法の感触をもっていたように、心霊もまた「科学的感触」でアプローチ「してみる」感覚であったように、いまは少し感じている。

わがこととしては、自分は自由に考えられるのだ。

それこそが「わが哲学」と、言えるのかもしれない。

(わが哲学(笑)。。。我ながらおおきく出てしまいました笑笑)