夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

何かを手に入れる最良の方法。

レヴィ=ストロースに関しては、内田樹氏の著作でその片鱗を感じるのみのレベルであるが、

ユダヤ教ユダヤ人、というものについて、すこしはイメージを抱ける感じになる。

 

「何かを手に入れる最良の方法は、それを他者に与えることだ」
期間限定の思想 内田樹 講談社e文庫 12%(電子書籍

この伝でゆけば、こうして内田氏の著作経由で受け取ったストロースの思想を、こうして日記に転記することで、この文をよんでくださった方の目に触れることで、その思想が伝えられる。

 

つまりはストロース→内田樹氏→私→皆様

 

という流れであるのだが、ここに記載されている内容からすれば、私がこの思想を手に入れる最良の方法を試している、ということにもなる。

 

「仕事の本質は他者をめざす運動性のうちにある」
期間限定の思想 内田樹 講談社e文庫 16%(電子書籍

仕事はデフォルトとしては、自らの餌を得るために、被保護者であることが終わってから行う、あまりやりたくないこと、やりたくないが故に、対価がもらえるもの、として認識され、スタートされるものだろう。

 

だが、早晩それではしんどいな、という思いが起こる。仕事とは、生きるとは、生まれた意味は、時間をつぶさねばならないのか、時間つぶしの娯楽とは、といった風に「悩みだす」。

 

そこで採用したい(私見ですが)思想の転換こそがこれである。他者貢献、というとそこには無理やごまかしや偽善の入り込むすきがあろう。だが、「他者を目指す」単純な行為こそが仕事なのだ、と理解し取り組むのはどうだろうか。

 

他者に「恩恵を施すと」思いにくいのは、自分は他者よりも優れたものではない、という思い、あるいは自分と他者を比較する思いこそがエゴだ、といったところから来るのだと思う。

 

だが、「目ざす」のであればどうか。

 

ぎりぎり、耐えられるのではないだろうか。

 

目指すだけ、そこに自分と他者の比較を入れなくてもいい。(目ざす理由に比較の気持ちが入るリスクがあろうが、そこは意識して遮断して)。

そんな感じで。

 

所有、という思いには、それ自体に「義務感」を孕んでいる。

仕事、という思いにも、それ自体に「義務感」がある。ほとんどすべてかもしれない。

 

そうした所有や仕事を、放擲するまでもなく、ただし取り込まれ、こころをむしばまれないような立ち位置を考えるとき、所有とは他者に与えること、仕事とは他者に向かうこと、と唱えると、たぶん私のこころで試した限りでは、すこし楽になるようだ。

 

ユダヤ人の思想、これはうろ覚えだが、自分が生まれるまえの罪を自分の罪とする、といったような思想があったと思う。父母未生以前の本来の面目、という禅の公案ともつながる思想であると思う。

 

これは存在とはなにか、という答えのない問いにとらわれたときの、有効な答え、つまり、「その答えはわからないが、考え続けるしかない」という答えになっていないようで、最良の答え、生きる構え、といったものに連なっている気がするのだ。

 

(禅の公案、というものは、なかなか面白いですね)

期間限定の思想 「おじさん」的思考2 (角川文庫)