谷崎潤一郎の書簡が話題になっている。
- 作者: 谷崎潤一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1995/09/18
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谷崎は陰影礼賛を高校生のときに読んで、以来気になる作家であったが、じっくりと読んでこなかった。
3度目の妻として松子を迎えたのは1935年、谷崎48歳、松子31歳の時であったという。
初めて出会ったのは27年、谷崎40歳、松子23歳のころであろうか。当時松子は大阪・船場の豪商の妻であった。松子は谷崎と会った10日後に手紙を出しているという。
松子への手紙に谷崎は書く。
「永久に御高恩を忘れず、忠僕として奉公する」
「私之生命身体家族兄弟収入等総て御寮人様之御所有」
「何卒、御側に御召使くだされ候」
妹の重子には、33年12月6日にこう書いている。
「芸術家は絶えず自分の憧憬する、自分より遥か上にある女性を夢見ている」
(以上、読売新聞国際版 11月25日、26日記事より)
こうした書簡は本来やりとりした2人きりのものであり、後世に第3者の目に触れることは意識されていないであろう。
それであるが故の、せっぱつまった本音の思いが、相手にだけ伝わる文章であるがゆえの切実さとなまなましさが、ある。
そんな文章をこうしてあとから見る行為、これはいわゆる”出歯
亀”である。
だが、なんだろうこれは、いけないなあ、と思いながら読んでしまう。すんません、といいながら、赤裸々な文豪の思いに触れてしまう。
池田晶子さんは、小林秀雄が亡くなった際、週刊誌等で小林の長谷川泰子との関係を暴露するような記事を難された。
下品である、と。人はその著されたものだけを見れば十分である、その行状というものは表面的なものである、と。
清潔で鮮烈な池田さんの思想に納得しながらも、こうした記事を嬉々として興味深々読んでしまう自分がいる。
さもしいなあ。。
もうひとつ、さもしいもの。
先日亡くなった高倉健氏に関する週刊誌の記事。
亡くなる前には記載せず、亡くなってから待っていたかのように記載する。
この構図、まさに小林秀雄のときと同じである。
マスコミはデバカメの親玉ですからね。
ちょっと文面が違うかもしれないが、池田さんがおっしゃっていたことを思い出す。
週刊新潮 12月4日号見出しから。
”江利チエミとの愛の巣焼失で焼け跡から無数のコンドーム”
・・・いや、これは僕でも、あなたでもありうることだ。自宅が焼けるのはなんとも残念なことだ。
夫婦がコンドームを使用して何が悪いのか。それを、どうして記事にするのか。
いや、かっこをつけるまい。マスコミに居れば僕も書いたかもしれない。
だが、やはり池田さんの言葉を思いだす。
”そのときあなたはなにを食べた”
列車事故時に宴会をしていたJR幹部を糾弾する記事を書いたマスコミに所属する記者に池田さんが尋ねた言葉。
人は、食べる。事故があったとき、宴会をやっている。
それをそういう風にかけば、もちろん”不都合な行為”となろう。
だが、その記事を、食事をする人類たるわれわれが、どの面下げて本当に書けるのか。
総ての文章を絶筆として書かれた池田さんの、文章に対する態度、なんとも表現さえ不可能な鮮烈な態度、がたまらない。
だが、大谷崎の芸術へ己が全身を捧げる姿もまた、胸を撃つものがある。