芸術とは、魂の休養地であり、
また試練の場でもある。
さて、1週間副鼻腔炎の手術で入院している。
入る前は骨休み程度のお気楽モードであったが、実際に手術をしてみると、鼻の軟骨を相当削ることとなり(軟骨は記念にもらった)、全身麻酔、4時間の自分にとっては結構な大手術(個人の経験上です)になってしまった。
頭は痛いし、鼻の穴は綿球で両方ふさがれての口呼吸、感想する病室で口の中は加ピカぴの血まみれで、これはえらいことになったと思った。
一応なんとか明日あさ退院予定(これ書いているのは19日)であるが、今朝鼻の中からガーゼを抜いたら、鼻呼吸がこんなに甘美な行為であったことを実感した。
6人部屋で、話せる状態ではないのでコミュニケーションはほぼないのだが、人の入れ替わりが1人だけあって、新しく入った人は今日手術を終えて今眠っている。
自分の手術のあとは、これは厳しい夜であった。
病院の10階には図書室があった。病人に貸し出す本があった。
文庫はしぶいセレクトであったが、一番端にあった幸田文、「木」を手に取った。
此の本は1990年に著者が86歳で亡くなったあと、1992年に遺著として発行されたものの文庫化である旨、解説の佐伯一麦氏の解説で知る。最後に配された「ポプラ」は「學鐙」誌1984年6月号に掲載されたとある。鐙は燈と同じ意味だろうか。なんとなく「蛍雪時代」や「高3コース」的な雑誌ではないかと想像するのだがどうだろうか。
Geminiさんに聞いたところ、鐙はあぶみ、の意味で学ぶ際の鐙、走り出すときの鐙という意味であったようだ。以下はGeminiさん情報。
1. 「鐙」は「燈(灯)」と同じ意味か?
漢字の「鐙」自体は、馬に乗る際に足をかける馬具の「あぶみ」を意味します。
しかし、ご推察の通り、**「學鐙」という名前には、「学問を照らす灯火(ともしび)」「知識への道しるべ」**といった意味合いが強く込められていると考えられます。
実際に、創刊した丸善は、西洋の知識や文化を日本に紹介する役割を担っており、この雑誌もまた、新しい知識や教養を社会に広める**「灯台」**のような役割を期待されていました。
2. 「蛍雪時代」「高3コース」的な雑誌か?
結論から言うと、「學鐙」は受験生や高校生向けの雑誌というよりは、大人向けの「教養・文化」に関する総合雑誌でした。
項目 『學鐙』の特性 出版社 丸善(丸善雄松堂) 創刊 1897年(明治30年) 主な読者層 知的好奇心の高い知識層、研究者、大学教授、書籍・図書館関係者など 内容 新刊案内、書評、著名人(文学者、学者など)のエッセイや連載、美術・映画・音楽などの文化記事、学術的な解説など 性格 丸善の広報誌という側面を持ちながら、学術と文化をつなぐ総合雑誌として、非常に高い知的なレベルを維持していました。 佐伯一麦氏の解説で言及されているように、1984年当時も、知識人や文化人、大学関係者の間で広く読まれ、文化的なエッセイなどが掲載される権威ある雑誌でした。
ですので、「蛍雪時代」や「高3コース」のような**「学習・受験」に特化した雑誌ではなく、「教養」や「文化」**に特化した、より専門的な読者を持つ雑誌だったと言えます。残念ながら、2021年1月をもって休刊となりましたが、120年以上にわたる歴史を持つ、日本の出版文化を支えた雑誌の一つです。
2021年まで続いた、丸善の広報誌であった。幸田文が掲載するにはとてもFITした媒体である感じがする。120年続いたということだが、寡聞にして知らなかった。まあ、丸善にあまり縁がない生活だったからかもしれない。
最後の”ポプラ”、戦後木材不足の際、成長が早い木として欧州より輸入されたが、成長の早い木は寿命も短く30年ほどだという。まだ樹勢のあるうちにと刈られて、マッチ軸となる木の”再生”を、哀れみよりも”阿波踊り”のように見立てる結論を読んで、遺著として出された本書の末尾に、あるいは最適な文章である、と思った。
(さて、退院できるかなあ・・・冒頭のゲーテの言葉、芸術家の娘に生まれ、自身も文章の達人とも目された幸田文の「芸術」世界での苦労と休息を想います)





