私が通う版画工房の最寄り駅の駅前(ちょっと入るが)に本屋があった。





24時間営業をしていて、頑張ってるなあ、と思っていたが。
昨日行ったら閉店していた。
やはりだめか。。
なんというか、私はやるせないような、暗然たる気持ちになった。
最近では、そこでハンターハンターの最新刊を買った気がする。
だが、やはり本を買う量は減っているのだ(まあ置き場がない、ということが大きな理由だが)。
24時間だからか、妙に暑かった気がする。それは冷房代かかるもんなあ。。。
本屋のない市町村が増えている、といい、読売新聞は定価で図書館が地元書店から買う仕組みを作れ、と提言し(鳥取方式、というようですね。。通常は予算がすくないので、図書館は入札形式で本を買っているようですね。定価で買っていると思ってましたたが、違ったんですね。。)、そしてここ東京新宿という大都会でももう本屋継続は困難。。。
図書館のような文化施設への予算配分はこれからどんどん減っていくだろう。少ない予算でできるだけ多くの本を買いたいのは当たり前である。これを止めるには強制しかないだろう。
これは地産地消を義務化せよ、というのと同じ。地元が疲弊するからアマゾンでの購入禁止、となれば、個人ではなかなか対応できないだろう。
なんとなく、その場しのぎ、という感もする。もちろん手をこまねいていろというわけではない。
だが、所詮延命策に過ぎない、という気もする。
もう少し本質的なアプローチも必要であろう(それぞれの立場があるので、難しいですね。。)。
本当に難しい問題だ。
本、と言えば、前に内田樹先生の「図書館には人がいないほうがいい」という本を読んだ。
書物は本来的に商品なのではなく、商品として世間に流通した方が、クオリティがupする、という為がだけで商品になっている。
内田樹 「図書館には人がいないほうがいい」
内田先生はさすがPOINTを突いてくる。本、という物質、あるいは電子書籍が本質的な問題なのではない。
もちろんそれの売買を生業とする方にとっては、別の話だが、そうではない、本に書いてある内容をただ享受する立場の人々にとって、本とはその中に書かれている内容が、問題なのである。
それが印刷された物質としての”本”を売り買いする、経営がなりたつ、そういうことはもちろんある。文化としての広がり方としての”本屋”、アマゾンでは一望に本という物質を見ることができないし、買う予定がなくてふらっと入った本屋で手に取って買ってしまう、という拡がりがない、というのもそれはそうである。
だが、本好きな私がいうとひどいようだが、そのことは本、ということで示される”中身”の本質論ではないのだ。
本屋が一軒もない都道府県や市町村がやばい、ということはよくわかる。それをなんとかした方が、文化面ではいいのは当たり前だ。
内田先生もロラン・バウトのこんな言葉も紹介している。「無知とはジャンク知識で頭が一杯なこと」、であると。編集を経て、中身のブラッシュアップを経て成立した文章の中には、ジャンク知識、というべきではないものが多い。一方ではSNSでは閲覧数を稼ぐことで手にすることが出来る額が増える(これは冊数を売れば儲けが増える本と同じだが、それを炎上だけで売る手法はあるとは言え、本では内容の良さで売れる、という割合がまだ高い気がする)のが現状である為、ジャンク・フェイクが手っ取り早すぎでメインであるのが印象だ。
残念ながら、本は高価な趣味商品になっていくだろう。どうしても電子書籍になるだろう。そして最後は、電子書籍と文章の販売(本という纏めでもなく)の境界線はあやふやになるだろう。すでにnoteなどでは文章を売る、という方向になっている。
そうなると、コンテンツを売る出版社(実際の出版はもうなくなるので、コンテンツ屋、とでもいおうか)も難しくなり、個人が、伝わりやすい形で、考えを伝えてゆく、ということに最終的・将来的(まあ、最低数十年かかるでしょうが)収斂するだろう。
本、という存在は、しかし無くならないだろう。だが、激しく縮小、はするだろう。
内田さんは、図書館に関しておっしゃっている。
①書物の歴史は資本主義の歴史より長い
②書物はたとえ、それを手に取る人が100年間一人もいなくても、それでもアーカイブされる価値がある
特に②については、2017年のジョン・ウィック:チャプター2で、主人公が図書館の中にものを隠すシーンを挙げ、この本が決して手に取られることがないことを確信していなければそこに隠さない、ということをおっしゃっていた。
あのシーン、私も”あれ?図書館で大丈夫なの?”と思ったのだが、(たしか)NYの図書館は、激しくアーカーブされているのだろう、本たちが。
これはうらやましい。いろいろあるが、米国文化の厚みと余裕を感じる部分だ。
図書館は「アーカイブするところ」なんです。そして、書物であれ、美術品であれ、音楽であれ、アーカイブされた場所だけにはいつの間にかある種の「深淵」が開口し、そこに身を投じると、人は「地下水脈」に触ることができる。
内田樹 「図書館には人がいないほうがいい」P.16
この文章、地下水脈というと、村上春樹さん好きの内田さんであるから、多分村上さんが自身の精神の”地下2階”から物語を紡ぎ出す姿をイメージしておっしゃっていたのだろうと思う。
まあ、それはおいて、本の販売をする、という行為、人間の文化の中での項目としては、今のAIの進捗の中で徐々に縮小することは間違いがないわけだ。人口も減るし、物質も減る。
それがいわゆる”進化”といっていいのかはわからないが、”変化”ではある。
そしてそういう経緯もまた、数百年、数千年先の”人類の成れの果て”(ちとひどい言い方か?)に対して、アーカイブされていることであろう。
(図書館、という仕組みを、よりアーカイブを意識した形に最終的にはするべきでしょうね。ですが、”目の前の食事をよこせ!”という心理の人に対して、そのことを説明するのは、もしかしたら無理かもしれませんね。。偉そうに言ってますが、私も日々の食事を業務スーパーでどう買うか、で頭が一杯です)