昨日の夜の体重64.0kg、体脂肪率10.1%、今朝の体重64.1kg、体脂肪率12.2%。昨日の歩数14077歩。
有楽町まで往復すると、こんな感じになる。昨日は温度も丁度よく、歩いていて気持ちが良かった。
河合塾ブックレット42(最終巻)、渡辺京二著(語り)「夢と一生」を購入した。
渡辺京二さんは一部で有名であるようだが、私はその著作を読んだことはなかった。また発行元の河合文化研究所のことも、知らなかった。
河合塾は名古屋発祥の塾である。私は大学は幸い現役で入ったので、塾といっても高校2年の夏、十三の駿台(か代々木)の夏季講習にいった淡い記憶がある位で、河合塾に自身で行ったことはない。
だが、名古屋に長く住んだので、千種駅の河合塾や名古屋駅前の河合塾には縁がある。また千種あたりは河合塾の本拠かどうかは不明だが、絵画関係の予備校があり、一般人にも門戸を開放していることや、例えば物理に特化した自由な雰囲気の特別なコース、などがある(あった?)ことは知っている。
ということで、予備校というのは「残念ながら大学に落ちて、忸怩たる気持ちで行くところ(失礼!!)」というイメージがあったものの、なんとなく文化の香りをかすかに嗅ぐ思いもあったのだ。
いま、いわゆる政府は文系科目を毛嫌いするどころか、不要であるとして消し去ろうとしている。年をとったら外人との会話に「教養」が必要だ、などとしょうもない付け焼刃ニーズが噴出するようだが、そもそも「教養」は「ビジネス」のために無理やり「持ってるふりをする」という境地とは180度違う世界である。
まあ、そういう「付け焼刃発想」がある時点で、真の教養が身に着くわけがない。だが、そもそも「ビジネスで相手になめられない」ための「教養」とは、たんなる豆知識の親玉程度のものであろう。まあ、ビジネスの場でそれが必要なのは、私も良く知るところであるのだが。。。
政府が文系科目を毛嫌いし、国語も基本「取説をきちんとかければ満点」というレベルに落としたいのは、そんなものより理系の金をすぐに稼ぐ組織の手ごまを育てることこそが「真の教育である」と心の底から思っているせいであろう。まあ、そういうニーズが産業界から寄せられることも、当たり前すぎるだろう。
国語を真の「教養」として得るのであれば、「めんどくさいことを言う」人間が出来上がることと同意となる。それを本能的に避けたくなる本音の気持ちも良くわかるのだが、本当に国を想う政府であれば、敢えて苦言を求める、という気持があってほしい、とは思う。まあ、無理だろうが。
ひとは、デフォルトでエゴの作用により、「自分よりできる人間を憎悪する」。そこにはエゴを意識しないと発動する「比較の無間地獄」が広がっている。
政府が本能的にめんどくさいことを言う人間を嫌悪するのは、この「自分よりできる人間の存在を認めない」心理が根底にあるだろう。私もたぶん同じ立場であればまずはそう思う自信が、残念ながらある。
だが、そのあとで自問したい。はたして大きく人類、という視点にたては、耳の痛いことをいう人間を抹殺することは本当にいいのだろうか、と。
体のいい、人間焚書坑儒、である。人に「思考する能力」ができるだけ育たないように、したいわけだから。
河合文化研究所は、1984年11月ころの発足だった(と思う、ちょっとうろ覚え)。平井和正「幻魔大戦」のアニメ化が1983年なので、その一年後である。本年3月末でそのすべての活動を終えた旨、サイトに記載されている。また最後のブックレットの解説で、事務局の加藤真理さんはこの最後となるブックレットに、当時92歳(刊行直前に亡くなられた)の渡辺京二さんの著作を何としても含ませなければいけない、と述べられている。河合文化研究所の活動が約34年間行われたとすれば、開始時の渡辺さんの年齢は58歳ころだろうか。初めから関わられていたわけではないと思うが。
34年間、というのは、22歳で例えば社会人になれば(私は文系なので文系発想です)56歳、昔であれば定年を迎えるころである。いわゆる一人の社会人が社会で活動する全期間に相当する期間、研究所が継続したことになる。
組織であれば、一人の人間の活動期間を超えて次世代へ引き継ごう、ということもあろう。だがその成り立ちが、主に「全共闘世代」の「本来なら塾講師ではなく大学に残り研究していたはず」の多くの塾講師によるものであれば、そのあとの世代では継続は不可能であろう。
ただ、今のタイミングでの終焉は、政府の「国語の取説化」による圧力、あるいは忖度によるものであるのならば(その可能性は高いように思う)、これもいわゆる「積極的な愚民化政策」の影響であるのかもしれない。
さて全共闘世代、というのはどれくらいの世代であるのか、はっきりとは理解していないのだが、まずはWikipediaでは以下の説明がある。
全学共闘会議(ぜんがくきょうとうかいぎ)は、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて日本の各大学で学生運動がバリケードストライキ等、武力闘争として行われた際に、ブントや三派全学連などが学部[注 1] やセクトを超えた運動として組織した大学内の連合体。
出典:Wikipedia
1968-69頃に「若者」であった方々、とまずは定義できるだろうか。なんとなくのイメージだが、活動後企業に入るのを潔しとしなかった皆さんが例えば塾講師などで糊口をしのぐ、ということがあったような気がする。
そういう世代の皆さんには、独特の社会、文化、政治に対する思いがあるだろう。渡辺京二さんも河合塾福岡校で国語教師を数年されていたとのことなので、評論を行うような方々も若い時期に塾講師になることで、あるいは生活できた、ということもあるのだろうか。
〈民衆をめぐる見果てぬ夢〉とは、市民と市民的権利で表層を糊塗しながらも、実は身もふたもない資本の暴力的な利益の追求こそをめざすこの資本制市民社会に抗して、そこに包摂されない、「市民社会から遠心的に疎外され」た基層の民衆がいつの日か自立してうちたてる「共同性」のことである。
P.94 加藤万里 河合ブックレット42 夢と一生 渡辺京二著解説
親ガチャ、ということばは、たまたま遺伝性がつよい資質の面、あるいは資産面等でこの「資本制市民社会」で「不利」になってしまうではないか、という思いが結実して生まれたものであろう。
そういう言葉はある意味なかなかどうしようもないものだろうが、そこを少しでもよくなる未来を志向しよう、というのが渡辺京二さんの思いなのであるだろうか。
(私の浅い個人的理解ではありますが。。。)