夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

6月29日 義憤の”義”はENVYであることが多い気がする。

今日の体重64.4kg、体脂肪13%。身体は3か月位で入れ替わると聞いたことがあるが、今の体脂肪は3か月前の玄米食べまくりがやはり効いているいるかもしれない。

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毎日の購入品と金額をスケジュール帖に書き出して2か月が過ぎた。ノート見開きに1か月分を記載しているが、2か月分を比較するといろいろなことが見えてくることに気づいた。

 

まずは購入した本を思い出す。古本買いの性として買ったらほぼ忘れてしまう、ということがある(7割の確率で読むこともない)ので、メモしておくと”ああ、こんなものを買ったのか”と思い出せた。

 

因みに前月は7冊、今月は4冊買っていた。今月といっても5月20日までが1か月とカウントしているので、20日以降で既に4冊入手、1冊注文中とハイスピードである。この部屋に越してきて20か月、本は(どうせ増えるからと)ほとんど持参しなかったが、既に棚から溢れてきており、適当に積んでいるので昨日は雪崩となって崩れ落ちた。。

 

古本が多い。新刊本はできるだけ見ないようにしている。きりがないからだ。昨日晩もついポチりそうになったが、なんとか踏みとどまった。欲しいなら明日ポチろう、と自らにいいきかせつつ。

 

やはり1日置くと熱意が消えている。結局買うかもしれないのだが。。

 

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私は昔から、自分に直接関係がないことにはあまり心が動かない質だなあ、と自分のことを分析していた。

 

ある意味冷たい、人情味がない、ということかもしれない。

人間にはそうなのだが、では犬猫動物虫たちなどには過度に感情移入するほうだ。

 

なぜなのかはわからないし、まあ、そういう気質、生まれつきだと思うしかない。

 

なので、例えば人が賄賂を貰う、不倫をする、といったことに、世間では”義憤にかられ”怒り心頭になる方が多いように見受けるわけだが、まあ、そんなことをいうと世間で浮いてしまうし、そもそもそういうことをいう友達もいないのだけれど、

 

全然”義憤”が湧かないし、むしろ”自分がその立場であればやってしまうのだろうなあ”と残念な気持ちになる。

 

エスは自分に罪なきものが石をなげよ、と言った。

 

そのことを思い出すにつれ、”義憤”の”義”は”義である風をよそったENVY(嫉妬)ではないのかなあ、などと思う部分もある。勿論真の義憤を持っている人も含まれてはいるだろうが。。

 

そこには”比較”がある。他人と自分を比べることは地獄である、というのがわが認識である。

 

まあ、自分の立ち位置を即時に把握して、他のうまくやっている個体と同じようにやろうというのは、エゴ、つまり生き延びるために発達したDNA記憶的生存戦略である気もするのだが。生き残り戦略なので、基本善悪はない。

 

これは特に同調圧力だけのこの国で顕著であろう。基本同人種、基本集団での農作業をする人々に最適な縛りとメンタリティだ。

 

これが遺伝しているわけだ。

 

不倫した人をバッシングする。こころに1ミクロンも”うらやましい””自分がかわりたい”と思っていない人は、イエスがいうように”石をなげるがいい”ということではないだろうか。

 

私は石は投げられない。

 

あんまりいじめんといたれよ、と思うが、芸能人が芸能人になった途端に、一般人には許されぬプライバシー侵害を受け入れている、と(無意識に)把握しているむきが多いようにも思うので、

 

難しいだろうなあ、とも思っている。

 

(たとえば娘が芸能人になりたい、と言った時に反対するおとうさん(私娘いませんが)の反対理由には、このあたりの”プライバシー無限突破され不安”が結構含まれている気がします)