夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

6月30日 さいごから100人目の読者による池田晶子論。

私は論理的な思考が苦手だ。なんというか、体感で文章を読んでいる。論理的な文章は読む方は集中すればなんとか読めるが、まああまり読みたいとは思わなかった。書く方は、この日記をお読みいただいてお判りの通り、さっぱりである。

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小林秀雄あたりの文書は、その凝縮された密度の濃い文体も相まって、学生時代はほとんど歯が立たなかった記憶がある。

 

小説はSFやファンタジーを中心に読みまくっていたし、マンガもとにかく読みまくっていたので、読めない文章がある、というのは内心結構悔しかった。

 

小林秀雄を読みだしたのは、池田晶子さんの著書、「新・考えるヒント」を読んでからである。

この本は小林の「考えるヒント」の文章を一部引用、その前後に池田さんが文章を加えられる、という試みである。

小林を敬愛される池田さんの文章は、すくなくとも私には小林の文章となんら変わらなく思え、では小林自身はどのように述べているのか、ということで、もとの「考えるヒント」を手に取るわけである。

 

だが引き続き哲学の文章はなかなか読めなかった。池田さんの比較的初期の文章も実はきつい。中期以降、普段哲学なんてものははるかかなたの関係ない世界、と心から感じている私を含む人々に、わかりやすい時には卑近な日々の出来事記事ばかりの週刊誌などを通して、哲学、学ぶではなく”考える”としての哲学の構えを説かれるようになって俄然読みやすくなった。

 

というか、私が初めて読んだのは2004年発行の「41歳からの哲学」であったのだが。

 

池田さんは2007年に亡くなった。なくなるぎりぎりまで、病室で酸素マスクをつけて執筆されたという。

週刊誌での連載ではそんなことはおくびにもださず、あまつさえ末期がんで余命がないということでそのことをライブで発信していた男性に、「残りの貴重な時間、発信ではなく自身の中を深堀せよ」(記憶によりますので、正確にどうおっしゃったかははっきりしませんが)と今考えれば親身親切から敢えて意見され、池田さんご自身もがんにかかってらっしゃることを知らぬ”世間のヒトビト”からの心ない文句を受けられたりしていた。

 

なんというか、改めて思い出しても、一本筋がピシッと通った方であったと思う。まあ、真実のみがその口を通して発露しているとおっしゃる”哲学の巫女”であれば、当たり前田のクラッカーであったのかもしれないが(1960年生まれの池田さんは多分ご存じのフレーズかもと使用したが、避けるわけではなく世間のあれこれにほんとうに興味がもてなかったともおっしゃる池田さんはご存じなかったかもしれない)。

 

タイトルは池田さんのご本、”さいごからひとりめの読者による「埴谷雄高」論”のもじりである。この本で埴谷雄高の最後の読者は「真実」そのものだと喝破されつつ、その次で読んでいるのは池田さんご自身である、という矜持を示されている。

 

私は池田さんファンではあるが、最後の池田さんの文章の読者は勿論埴谷の場合と同じように「真実」となるだろう。そこから数えて100番目、と自らを設定してみたが、

 

まあ、論理的文章がいまださっぱり読めていない私であれば

 

100番目はすこしくおこがましかったろうか。

 

(まあ、1500番目くらいですかね・・・)