小林秀雄のこの本、冒頭の文章群は昭和34年から昭和37年にかけて文芸春秋に掲載されたものである。
昭和34年といえば、1959年。小林は1902年生まれであるので、57歳ころからの作品となるだろうか。
年齢についてどう考えるのか、これは池田晶子さんよりわがテーマとして(勝手に)頂いている項目であるが、ある意味尊敬する先人が自らの歳のころいかように考えていたのか、と考えることはいわゆるロードモデル?となる面はあるのだろうと思っている。
高い頂を仰ぎ見る行為であるのだろうが。
・・そういう意味では、池田さんご自身も”新・考えるヒント”を著されて、時代を超えたコラボレーションをなさっているわけである。
これは併読するしかないわけだが、例えば”読者”。小林に対しては”週刊誌ブーム”、池田さんに関しては”哲学ブーム”。時代が変わってもわかった人へのわからない質問、泣き笑いで終わればいいがやむなく記載された文章には悲哀感が漂う。
縁なき衆生は度し難し
他人に対しそうした思いを持ちたい、と思われる方々ではないだろう。が、しかし、その胸中、その言葉が去来したのではないのだろうか。
・・考えてみると、本当に覚悟を持って文章や考えることを行っている人にとって、その根幹にずけずけとしかもずれて、臆面なくそして意識なく踏み込んでこられることは、避けられないにしろとても脱力する事態である。両者ともいわゆる文筆業に身を置く身。身過ぎ世過ぎとして売文しているわけではないが、実際にそこから収入を得る立場であることは間違いない。その”同じ世界の住人”たるジャーナリズムから問いかけられる脱力の問い。思わず両者が”これは実話である”と呟くのもむべなるかな、ということになってくる。
面白く思ったことは、56年も前の小林の問いかけられた問い、”週刊誌ブームについて意見が聞きたい”。さてもいまの事態とシンクロしているのである。人間の進化、というものが余りに無いことを、思う。
週刊誌が多くなったとして、自身もマス・コミの一部であろう質問者は小林に問いかける。「マス・コミによる文学の質の低下というものをどう考えるか」。
小林は答える。「質は、逆に向上すると思う。電気洗濯機を見たまえ」。
「冗談は止めてもらいましょう」。莫迦にされたと思って色めく質問者。同じ文章に関係する者同士、質問者は勝手に自分は小林と少なくとも同じ土俵に乘っている、と感じているのだろう。
だが、ここで色めく時点で馬脚を現している、が、それに気づかない。これはいわば小林が試しているのだ。わかるものは、ここでわかるはずなのだ。
仕方がない、説明しなければならないのだろう。多少弁解めくが小林はやむなくこう述べる。「僕は、真面目に君に聞いているのだ。君は、何故ジャーナリストとして、そんな風に、読者というものを見下しているのですか」
わからない、と思いつつも、問わざるを得ない。この、問いを、小林に持ってきた時点で実はわかってはいるのだが。
小林に、文章の覚悟を聞く。なんとも失礼なことなのだが、失礼を失礼とわからないものが大多数なのだ。それが現実だ。
そして池田さんにも全く同じ事態が出来する。小林が亡くなって20年、と書かれている文章であるから、昭和58年(1983年)プラス20年。2003年ころの話だろうか。1959年ころに小林が週刊誌について聞かれたとすれば、44年後のことだ。
「哲学ブームについて意見が聞きたい」
だめだこりゃ。言えれば池田さんはこうおっしゃっりたかったのだろう。だが、池田さん、付き合いが善くて親切なのだ。
覚悟を持って文章と切り結ぶ小林に文章について聞く者がいる。生きることは考えることとする池田さんに、ブーム、と聞く。生きることが、ブームであるはずがないではないか。
怒りたいのはやまやまだ。だが悪気がないのだけはわかる。でも、もうちょっとしっかりしてくれよ。
聞いてきたのがどのような媒体なのかはわからない。だが結局はそこはこんなレベルなのだな。天下のNHKにソフィーも含め失望していた池田さんの脱力を思う。
しかし、こうしてその深い脱力を著していただく。なんだかこちらも申し訳ない気がしつつその顛末を読む。小林に出来し、池田さんに出来し。そして思う。週刊誌だろうが、最近のブログだろうが、量があるなしではないのだ、場所があるだけ。
そこにホンモノがあるのかどうか。
真実があるのかどうか。
それだけなのだろう。だが、そこは、なかなかわからない。
たぶん、宇宙人級の人だけが、まずわかっている。
そうして、こうして、文章で例えば僕が教えて頂けるのだ。
そういう風に、なっているのかもしれない、本来、そして今までずっと。
考えてみれば、ソクラテスはそのことで命を落としたのだ。別に無理に落としたわけではないのだろうが。
そしてその先にいるのが”読者”。ソクラテスが、プラトンが、小林秀雄が、池田晶子さんが、バトンを渡す先としていわば憧れをも持って託す先。それが”読者”である。
身を引き締めて、読まねばならない。
小林を読む時の、池田さんを読む時の、緊張感はそれだ。
いわば”読むものの覚悟”を、否応なく問いかけられるのだ、紙面から。言霊、最近の流行単語で行ってみれば”分霊箱”たる諸著作に対面し、それもまた避けられない事態、なのだろう、と思う。
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書影を添付して気が付いた。新装版の”考えるヒント”は池田さんの本が出てから数か月後に発行されている。
池田さんの御本が、一つのきっかけになったものだろうか。
時間を超えた、セッションである、”ジャーナリズム界”に於ける(苦笑)。