夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

5月31日 かぜのたみさんのYOUTUBEで得たことば。自分に甘い人は、行動に厳しい。

自分に甘いひとは、行動に厳しい。

 

毎日帰宅すると、だいたいキャベツの千切りを行いながらかぜのたみさんのYOUTUBEを聞いている。画面も貴重だが、ただ聞いていればいい、というのも斬新だ。

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たまに手の皮を切ってしまっているが(苦笑)

 

上記の言葉は今日聞いて勉強になった言葉。

 

普通なら自分に厳しい人が行動にも厳しいように思うところだ。だが、実はそうではない、というのがかぜのたみさんの気づき。

 

自身にあてはめてみるとどうだろうか。

 

私の性格自認は、とにかく「自分に超甘い」。甘いもなにも、極甘だ。甘すぎる、自分にどうしてこのように甘すぎるのか、とたまに自分自身をどつきまわしたくなるほどだ。

 

掃除はしなくていい、好きなものは(金があれば)買っていい。ゴミもゴミ袋がパンパンになるまで捨てないし(この前口を括っていたら破れた)、なんなら倉庫において溜まるまで捨てない。

 

こんな毎日だ。

 

これはなんというか「行動に甘い」と普通はなるのだ。

 

だが、自分がヘタレだと自認しすぎているあまり、ぎりぎりのところを押さえないとこの「人間社会」でやっていけなかろう、という思いも一方で強いのだ。このビビりである。つまりは下手すりゃヤバイで生きて行かれへんで、ということもまた、強く、強く思っているわけだ。

 

なので、そこから来る「焦り」がいろいろな「義務」への原動力となる。

普通ならやりたくもない「仕事」、「気遣い」、「人付き合い」、これらはほっとくとできないので、わが能力全開で取り組まねば「人並みにさえなれない・できない」。そう思って社会人をやって来た感がある。

 

私理解でいけばこのあたりが「行動に厳しい」という被観察結果につながるのだろう。

 

つまり「平常運転では人並みになれない=デフォルトで自分に甘くなってしまう」と思っているから、行動で厳しさをある程度追求するしかないわけだ。

 

すこし前までは、まったく仕事がなくとも「上司がいれば帰るまで仕事やったふりで同調圧力残業」、中学高校は「好きでもない勉強を嫌々ながら仕方なくやる」、基本一人でひきこもりたいが「いやいや人付き合いする」、酒嫌いなのに「鯨飲」、超運動オンチなのに「なんちゃって運動部」、そんな感じである。

 

すべてやりたくないことばかりだ。

 

だが、やる。やらないと「生存やばい」。

 

 

そんな感じでやってきた。

そのあたりをうまく第3者的に認識させて頂く言葉を得て、非常に「蒙を開かれた」感じがしている。

 

(かぜのたみさんはただものではない感じがしています)