夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

1月22日 手放すこと。タンパク質事情など。

今朝の体重64.9kg、体脂肪5%。

昨日は約19000歩歩いた。いささか上半身と足が痛くなったのはやはりすこし歩きすぎたか。歩行距離は15km。

f:id:mamezouya:20240122040548j:image
f:id:mamezouya:20240122040555j:image

 

この季節汗はかかない。なので痩せたという感覚はなく、むしろ夕食で太っている。

昨日は一昨日と同じく、キムチチャーハン。しかし納豆を入れてみたので味変は一応した。うーん、納豆はすこし微妙だったかな。しかしまあ、タンパク質摂取が目的なので、よしとする。

日本人は毎日違ったメニューを食べるのが当たり前という感覚だが、例えば海外でホームステイ(聞いた話だが)では昼食はリンゴとパン位のようだ(英国)。確かに海外顧客を見ていても、なんというか夕食はきちんと料理、という感じはない。アメリカ映画でもインスタント食品やチョコバー程度ですましているような気もする。という意味では、ビタミン、野菜に気をつけつつ、そのほかは日々同じようなメニューでもいいのかもしれない。

 

昨日もタンパク質の事ばかり書いたが、昨日は玄米1.5合と夜卵2,納豆、プロテインを摂ったので、体重比176%g程度の総摂取量である。という意味では体重が増えたが、体脂肪率はいい感じなのかもしれない。

 

ビルダーがものを食べるのも鍛えの一部だ、と言っていたが、実感である。

 

ただ、すこし歩きすぎて股関節が痛い。無理はしないようにしたい。

 

 

 

さて、新しいもの、事を得るには、それに合わせてなにかを手放すことを考えるのがいいようだ。

 

例えば日用品。予備がないと心配、という気もちがあったのだが、無くなったら買えばいい、という気持に切り替えてみたらすっきりした。物理的な手放しに加え、思い込みの手放しも心にはいいようだ。

 

プロテイン生活でも、肉を食べねば、鶏肉が切れた、という気持ちがどうやらストレスであると気づいた。卵を2パック買って、一日3個食べれば20g位のタンパク質が摂取できる。納豆も交えれば植物性も動物性も両方のタンパク質が摂取できるのだ。別に鶏肉やさば缶が切れていてもいいのだ。プロテインはいつでもある。

 

パスタで節約、という感覚も手放して、少しくらい高くても玄米と麦でいいではないか、という感覚にした。健康にはむしろいいし、慣れれば炊飯もそれほど手間ではない。余った玄米はお結び状態で冷凍しておけば、いざという時にすぐ食べられる。

 

こうしていろいろ考えてやっていくと、だんだん心が整理されてくるようだ。本でもそうだ。最近は図書館をまあまあ利用している。借りて、読めなくてもいい。延長してもいいのだ。

 

手放しとは、自身の気持ちに正面から向き合って、対話をすることで項目が見えてくることのようだ。このことを怠ると、つい自動判断(=エゴ)での運用となる。そのことがすこし住宅ローン的ストレスになっていることに、最近気が付いてきた。

 

(手放しが気持ちへの向き合い、ということに気が付けたのはよかったです)