夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

劇場版エヴァンゲリオン第2周目、逆から視聴中。

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今日の体重64.1kg、体脂肪10.2%。

昨日は会社から帰って、劇場版エヴァンゲリオンの第3作である”Q"を再視聴した。

不思議なもので、1回目よりは早く感じるし、1回目の様々な疑問を日中に把握してみると、それぞれの断片的なセリフの意味がより推測しやすくなる。

勿論Webの中に在る様々な先行考察などを見て、ほとんど真っ白な頭で見た1周目と違い、結末がわかっているのでそこからいろいろ考えられる、という面もある。

正しいのかどうかはわからないが、神が不可視な状態ではなく、アダムとイブと抑止力としての槍が”宇宙から”来た、という設定で、若干SFが入り神話臭が薄まっている気がする。たださまざまなアイテムが神話がらみ(旧約・新約聖書や外伝、ユダヤ教とくにカバラ系)となっているので、宗教っぽさが強くはある。だがいわゆる日本のアニメの伝統的な「宇宙神話」につらなる作品(思い出すところではマクロスダンバイン)という感じもする。

勿論アダムやイブの飛来時に抑止力を送る、という点では、”進化を俯瞰する神の視点”は感じるところであるが、それが”神”なのか、進化した”宇宙人”(あくまで神ではない)の視点なのかはわからないところが味噌であり、そのあたりが宗教面でよりしばりのある海外でも受け入れやすい点ではないだろうか。

日本がこうして世界でも結構受けいれられるのは、日本ではナチュラルに個人的な宗教タブーがその育成時にほとんど織り込まれない点だろう。一部親が子に結果的に自身の宗教を押し付けることになることもあるだろうが、あくまで少数、という感じはする。

なので、特定の宗教を貶める、ということには結果的にはなりにくく(知らずに禁忌に触れてしまうことはあるにしろ)結果的には発想は相当自由になっている、という状況がある気がする。

同時に見だした「メイドインアビス」アニメ第2話も見た。2話ですっかり設定が定まった感じだ。そしてアイテムや設定が大変しっかりしているのに驚いた。全くの高校出たての新人がこの異世界を構築したのであれば、これは恐るべき才能だ、と震えたのだが、調べてみるとゲームにて設定やキャラデザなどもなさっているだいぶベテランの方であると知って得心した。

こちらもいわゆるゲーム系ハイ・ファンタジー(しかしその世界観はすこし現実世界につながっているので、ハーフ・ハイ・ファンタジーとでもいうべきか)の王道、という感じがする。

ほかの国での状況はわからないが、やはり日本でのアニメの制作力(原作としてのマンガ生産力)もまあ健在、というところだろう。しかし入っている銅版画工房で中国出身の若い方の話を聞くと、もちろん日本産のアニメ・マンガはメインであるが、中国の作家のマンガも結構出ているようで、そのタッチを見せてもらったが、いわゆる日本で見るときのマンガとの差異はまったく感じなかった。

これからは日本系アニメ、というくくりで、作者は世界のどこからでもどんどん出てくる、という世界になっていくのだろう。それにはタブレット等で作画でき、Webで発信でき、翻訳も容易であるようになった環境も大きいと思う。

そして、デジタル化が進む中で、ピュアな手書き、というものも逆に存在感を増すのかもしれない。

(銅版画はめちゃくちゃ手作業ですから。。)