夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

制服嫌い。外見全コスプレ主義。

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制服、つまり「この集団に属するためにはこの制服を気うことが条件である。」ということを体現しているものが、昔から嫌いだった。

押し付け、が異常なくらい嫌いだった。学校で一番嫌いな科目は「道徳」。

押し付け、考え方の強制。これがいやだった。

 


多分、私は自分の精神だけが自分のものであり、世間で生きる、という意味は「いやいやそのルールを知り、自分のできる限り従う事」である、と小学校4年くらいから思っていた。

で、それはすごく嫌だし、苦手なことだ、と認識していた。

 


「自分はみんなが息を吸って吐くようにやれている、世間のふるまい、が意識しないとできないようだ。頑張らないと生きていけない。だががんばるのはとても疲れるので、精神世界だけでは自由に、徹底的に、誰に文句も言われず、やっていこう。」

 


それもたぶん小学4年くらいで思っていたことだ。

 


転校した市立小学校で、制服っぽい服があり、みんな着ていた。公立なのになぜ制服が、と思い、「これは着ないといけないんですか」と先生に聞いた。

いや、別に、と言われたので、制服を着ずに卒業写真を撮った。着ていないのは一人だけだった。

 


会社員になったらスーツである。

いかにも「嫌なものだけれど、着ないといけないから着ている」と語っているように見える。

強制の塊に見える。

 


今はスーツも、夏はジャケットいらない、ネクタイは通年いらない、というのが普通である。

だが、私は真夏でもスーツを着て、ネクタイをしている。

 


なぜか。

 


「着ていてもルール違反にならないが、基本は着ない、締めないのがルール」になったからだ。

つまりは「強制でない制服」になったからだ。

 


だから喜々として着ている。チーフをして、前ボタンは必ずとめている。

 


そんなことは普通の会社員は誰もしていない。

 


だからやるのだ。「強制されているように擬態できる、むしろよりフォーマルと勘違いされる制服のようで制服でない服」であるからだ。

あと、美的にも、ネクタイがないシャツの襟はどう見てもカッコ悪い。

酔っぱらって、だらしなく地面で寝てるおっさんを、見るたびに想像する。

そうであればTシャツのほうがいい。

 


つまりはスーツを着つつ、毎日「007コスプレ」をやっているのである。

会社でコスプレ。

 


擬態できるし。

 


いうことがないのである。

 

 

 

守破離、というと、物事の極意であるように聞こえるが、

卑近ながらも、その構図には入ってはいる、と思っている。

(コスプレは楽しいですねー。筋トレもちょっとコスプレ感あります(笑))

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