夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

人の精神は分局のようなものかな?

今朝の体重は65.3kg、体脂肪率は10.1%であったろうか。昨日晩は66.5kg、体脂肪率5%であった気がするが差がありすぎるのであるいはい昨日の夜の記憶違いだろうか。

一昨日、昨日と結構歩いた。19日の土曜日は先日ありがたくも入選させていただいた日本版画協会展示作品の引き取りのため、葛西臨海公園そばの物流倉庫に赴いたのだ。
天気が非常に良かった。私は、というか私の家系はみんな土地勘がない、というか、地理に興味がわきにくい傾向がある。なので、いまだに東西南北は普段一ミリたりとも気にしない。そもそも方角を感知してなにか利点があるのか、と感じてしまう。

この傾向は、なんというか「現実逃避感」と私の中では繋がっている。現実のことをできるだけ自分の中にリンクさせたくない、という気持ちがベースにあるのだ。

これはなんというか、現実生活は結構厳しいので、必要最小限関わって、関わらずともよいことには徹底して接触しない、という感覚のことだ。自分が住んでいる場所の地名や地理など、どうでもい、心からどうでもいい、と感じるのだ。

これはたぶん皆さんの平均値とは違っているのだろう。皆さん、東西南北を常に意識されている方が多いように感じられる。私はなので、北枕、とか考えたことは人生で一度もないのだ。昔の貴族であればえらいことである。方違え、ができないのだから。

そういうことを考えるためにただでさえすくない我が精神のメモリーを遣えない、という感覚である。そのメモリーはもう少し楽しいことに使いたい。そう思っていた。

子供のころは勉強はしたくはないが「子供の義務」だからやる。今考えればそれはある意味贅沢なことではあるのだが、まあ、子供はそうは考えない。終わったら一切考えない、というより、考えられない。

不可能である。

だが終わったらマンガを読み、アニメを見ていた。物語を読むこともあった。とにかくインプットに集中していたことを思い出す。

やはり自由になる時間は自分にむいていることを自然にやるようだ。

どう考えても、我が頭脳は理系ではない。

今となってはありがたいのだが、我が家は8時以降のTV視聴が禁止であった。そんな家はいまだ他に聞いたことがないが、「TVばっかり見てたらアホになる。」と言われたらなんというかどうしようもない。

だが代わりにというかなんというか、マンガや本は潤沢に購入、耳から聞くぶんには問題なしであった。今の本好き、マンガ好きはそのおかげで育まれた面も強いと思っている。当時は「見たいなあ」というのもあったが、今となってはありがたいと思っている。

話がずれた。いずれにしても、自由な時間に「面倒な現実世界」のことは一ミリも考えないぞ、というのはそういう面からも生まれた感覚のような気がする。自分に中に「自分世界」が強固に構築されたのだ。

今は地図アプリがあるので、アクセスはすべてそれ任せ。早く、安く、到着できる手段を選ぶのみ。
だがそれだと、近くにどんな施設や場所があるかはわからない。

土曜日はそれがうれしいサプライズとなった。

葛西臨海公園に行けたからだ。

私は神戸といっても舞子よりで、瀬戸内海にメチャ近い場所で育った。なので、四六時中海を見ているような子供時代であった。何しろ団地の5階。子供部屋の窓から寝るときいつも淡路島や灯台や船を見ていたのだ。

なので、海を見るのが大好きなのだ。葛西臨海公園、めちゃくちゃ海にアクセスしている場所であった。

例によって地図は見ないのであるが、東京湾??なのか、波は静かで瀬戸内海感にあふれていた。須磨海岸の「海釣り公園」とクリソツであった。

風がなく、すこし汗ばむような陽気の中、人工ではあろうが、砂浜的な場所を歩いていると、懐かしくも楽しい気分にあふれていた。

(知らないという事は、サプライズにつながりますね)

 

 

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